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2010年4月

2010年4月 2日 (金)

KEN TADASHI OSHIMA, International Architecture in Interwar Japan CONSTRUCTING KOKUSAIKENCHIKU, UNIVERSITY OF WASHINGTON PRESS, 2010

Oshima

戦間期の「インターナショナル建築」を扱った書です。堀口捨巳、山田守、アントニン・レーモンドの3人の建築家に焦点をあてて述べ、また劈頭は日本に「建築」が導入された明治期まで遡って述べられています。この劈頭の解説部分も、客観的かつ簡潔によくまとまって書かれている印象を受けます。日本における建築教育はボザール流の建築教育ではなくエコール・ポリテクニーク流の教育として始まり(それゆえ日本の建築学科は主に工学部に属します。ついでに述べれば実はアメリカも似たところがあり、ウィリアウム・ウェアがアメリカで最初の建築学校を造ったのはMIT(マサチューセッツ工科大学)においてで、ウェアは二つ目の建築学校をコロンビアに造っています(こちらはボザール流のもの))。また建築学科卒業生は1年に四人(つまり当時の建築家は大変なエリートであった)で、在来の棟梁層といわば二重構造を形成したことなども淡々と分析されます。工学との関係では、本書での佐野利器や野田俊彦の述べられ方は、ドイツにおけるノイエザハリヒカイトとも共通する新しい考えのようにも見えなくもありません(もっともあくまで考えにおいてであって、その美学においてというわけではないです)。また本書で示唆されている武田伍一と浅井忠の関係なども、いままであまり知られていなかったのではないかと思われます。

さて3人の建築家です。著者はこの3人をだいたい同じ世代で、日本の地方や国外で生まれ育ち、東京にやってきた建築家であり、またレーモンドは文字通り諸国を放浪し、堀口は自費で、山田は逓信省の官費で国外旅行を行った(1929年のフランクフルトCIAMにも参加しています)という点で「インターナショナル」であったという共通項などで捉えています。レーモンドについてはこれまで、ヨーロッパにおけるアールヌーボー/ジャポネズリが彼の日本行きを後押ししたといった説などがありましたが、本書では彼が最初に渡ったアメリカでのフランク・ロイド・ライトの影響であったことが明確に述べられています。そのライトとあまりいい分かれ方をしなかったことも述べられ、レーモンドはドライな人だったのかな、とも邪推してしまいます。レーモンドについては第二次世界大戦中、日本からアメリカに渡り、焼夷弾の開発に関ったことなどからも、そう思われがちなところがあるのかもしれませんが、本書ではこれは気の進まない仕事であったと位置づけられています。ライトがらみで文化の相互影響という点では、ライトのプレファブやプレカットの考えが、実は日本の木造工法から影響されたものであったという記述などもたいへん興味深いと思われます。

いっぽう堀口と山田はともに元分離派のメンバーで、著者は堀口に同派の理論的主柱としての、自らディオニソス的と称していた山田に同派の精神的主柱としての役割を見ています(後半で触れられますがラトーの会員でもあった岸田日出刀は堀口の東大時代のクラスメートにして親友)。また分離派をめぐる当時の関係、佐野や内田による批判や伊東による擁護などもよくまとまって書かれているとともに、デパートでの展覧会というそのプレゼンテーションのあり方を分析したあたりはコロミーナの書を彷彿させます(本書にはコロミーナの分析手法を踏襲した箇所がいくつか登場)。

それぞれの建築家としての形成期が一通り述べられると、レーモンドの霊南坂住宅、掘口の菊川邸、山田の鶴見邸が分析されていきます。この三つはどれも鉄筋コンクリート造であることは共通していますが、レーモンドのものは打ち放し、その構成原理はデスティルと見られがちだが、本人は日本の伝統家屋の構成法にあるとし、とりわけその中庭は「庭と家屋を一体化する」「日本の自然への愛」に従った、といいます。「可塑的だが構造的にしっかりした素材として、コンクリートは多様な形態を新しい統合的な生活環境へと一体化する」(96頁)。一方、堀口においては「コンクリートは「そのもの」として適用されたのではなく、気候や経済条件や社会条件に合うものとされる。日本の湿度では鉄筋は錆び易く、コンクリートは固着しにくい。それゆえレーモンドのように打ち放しにはせず、「住むための空間構成を造りだすよう内部のスケルトンとして用いた」(97頁)。外壁では白の磁器タイルが貼られたことが堀口のコンクリートの特徴でしょうか。またスラブ下面を露わしとしたレーモンドと異なり、堀口は天井を張ったという点も分析されます。菊川邸の構成はシュプレマティスムやデスティルの影響が言われてきたのですが、著者は堀口がヨーロッパで影響されたデュドックや、日本のローカル・ランドスケープからの影響を読み取っていきます。

さて山田の鶴見邸はレーモンドとも堀口とも異なり「ネオクリート」が用いられていたことが分析されます。また初期山田の表現主義風の作風と異なり、同住宅はノイエザハリヒ的なものになっているように見えます。

さらにそれぞれの作品分析が続いていくのですが、個人的に興味深いと感じたもののなかからいくつか。掘口の岡田邸について、その中心にある石上の木の円柱について「これは物理的なだけでなく、そのコンポジションを視覚的に定着し、日本家屋の長い伝統にある近代性を象徴的に確認した」とする分析。同じく岡田邸の和風部分では写真家・渡部義雄による住宅内部と外部の空間関係を強調した写真を、モダンなリビングでは写真家・木村伊兵衛によるプロのモデルを用いたライフスタイルを強調した写真を、それぞれ用いていたという分析など。そして「堀口は夏草と秋草を描いた江戸時代の屏風絵に拠って庭をデザインした。内部から庭のシーンは障子によってフレームされる。その周到なコンポジションは写真向きでもある。屏風絵においても実際の庭のデザインにおいても、その庭の写真においても、観察者の視点は内部の畳部屋から外部の庭に向かい、下の床と上の庇によってフレームされる。周到にカットされレイアウトされた写真は、自然世界に幾何学の秩序を与え、堀口のデザイン思考への「窓」のように機能した」(151頁)と、述べます。コロミーナのル・コルビュジエのサヴォワ邸分析が思い出されます。

いっぽうで山田の自邸については「伝統的梁構造のプロセニアムから庭を単に眺めるというより、映画カメラのように水平移動しながら風景を見る」(154頁)と述べられます。

後半ではレーモンドの東京ゴルフクラブや東京女子大学、堀口の大島測候所、山田の東京逓信病院などが分析されていきます。山田は優秀なデザイナーだったのだな、とあらためて思わされます。末尾付近はその山田の東京逓信病院をめぐる顛末に鴨長明の方丈記がかけられもするのですが、少しずれたところで一節。「レーモンドは殆どの日本の建築家は単なる「技師」か西洋の盲目的な追従者と看做したが、堀口については古い伝統と近代の日本の生活様式に基づいた作品から、賞賛していた」(243)

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中村拓志『今日の建築VOL2』NAP建築設計事務所 2010

Nakamura

建築家の中村拓志さんから同氏の事務所が出している『今日の建築VOL2』をいただく。内容は隈研吾さんとの対談。B4サイズで12頁。一部300円で販売中だそうです。

中村さん、有難うございました。

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