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2010年10月

2010年10月13日 (水)

“THE SUBLIME, THE BEAUTIFUL, AND THE PICTURESQUE”, The Picturesque, Studies in a point of view, by Christopher Hussey, FRANK CASS AND COMPANY LIMITED, London,1927

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引き続き以前読んだものの再読。全部で7章あるなかの中間章。

ルドルフ・ウィットコウアの『人文主義建築』の末尾では、17世紀末フランスにおけるフランソワ・ブロンデルとクロード・ペローの論争が建築における一つの歴史的転回点であったという記述があったと思いますが、これと並行的に18世紀イギリスにおける美学の登場は、古典主義/ロマン主義という新しく登場する対立図式の起源をなすとされることがあります。さて本稿はこれら理念についてざっくり纏めたものになっています。

最初の方では抽象化に向かう過程が、デュ・フレノワ(1665)らを通してまず瞥見され、さらに西洋における自然(Nature)の概念が二つに纏められています。「自然は二つの意味を持っていた。通常の意味では人工物以外による可視現象の総体を意味する。だが芸術に関しては、それはいかなる種であれその理想型をしばしば意味し、あるいはアリストテレスによれば、物質の偏った媒体のなかに遍在的にありつつその最も完璧な形態/形式に向かっているものであり」「ベローリは17世紀において大文字の自然(Nature)をこの二つの意味で用いていた」(52頁)。18世紀における「自然」概念はまた違った意味で二つの意味があったのではないかと思うのですが、まずは基本的な二つの意味が提示されます。

18世紀イギリスにおける美学で大きな転回点をなすのはいわずもがなエドマンド・バークの『美と崇高・・』で、これは近代美学の起源でさえあったという認識がここでも示されています。ブロンデル/ペローの論争に引き付けて言えば、「美」は西洋の伝統では知性へと向かうものでしたが、ここでそれとは別の感性、バークの場合さらに「本能」に関連付けられることで異なる展開を始めた、というわけです。

そのバークに先行するものとしてフランシス・ハチソン、シャフツベリー、ウィリアム・ホガースにまず一瞥が与えられます。1711年のシャフツベリーの『性格と造形』では美が理性/合理や徳に関連付けられ、美的鑑賞の対象は「自然本来の大文字の秩序」と同定されていたのに対し、フランシス・ハチソンの『美と秩序の理念・考』(1711)では、知性・論はさらに展開されるものの、これは「理性の裏口を開け」た。「自然の無限多様性中の秩序にある美は、人間の秩序のさなかにある」(54-55頁)。ホガースの『美の分析』(1753)ではさらに美の知覚として「感性」が持ち出され、美学において初めて「感性」がここで導入されたと言います。このあたりはフランスにおけるクロード・ペローを彷彿させるかもしれません。「世紀半ばの人が重要と考えていたものを描くのに「美」では最早不十分だった」(同)。

この文脈で捉えるなら、バークの論の斬新性は「本能」に基本を置いたことにあるように見えます。たとえばシャフツベリーも「崇高(sublime)」について論じていますが、それは「風景の最高位の秩序」であり中世的な「メメント・モリ」として論じたと言います。バークにおいてはしかし、自己保存の本能/自己拡張の本能という対比図式が、崇高(Sublime)/美(beauty)という対比図式の基本であると述べられているのは、よく知られています。「バークはロマン主義への道を拓いた」「恐怖や不安や無窮を美的感情に関連付けることで、彼は次の100年の芸術に基礎を与えたのである。実際、美的感情のまさに存在というものは彼によって初めて認識された。シャフツベリーにとって美とは思想だった。ハチソンは感性を言ったがしかし、彼の体系にある知的本性のおかげでそれを説明できなかった。ホガースは「感性」の存在を確かに認めた。しかし、美的知覚の生産物として感情やpassionを捉えたのはバークだった」「彼は全感情を本能的とし、心的過程を全て消去した」(57頁)。繰り返すなら、バークがここで言う本能とは自己保存本能と自己拡張本能のことです。

さて「美」と「崇高」という二つの基本的な美的範疇が本能と関連付けられて措定されたとして、「美の滑らかさも崇高の圧倒性もない対象について、彼の理論は触れなかった。これはのちに第三のカテゴリーであるピクチャレスク(Picturesque)を形成することになるものである」(60頁)。

この第三の範疇であるピクチャレスクに先鞭をつけたのは、ジョシュア・レイノルズと言い、それまで「美とは何か?」と問うていたものを、レイノルズは「自然とは何か?」と問い、ここからピクチャレスクの視点が現れたとされます。

バークとレイノルズの時代から下って登場するのが、ユベデール・プライスとリチャード・ペイン・ナイトです。プライスはレイノルズやゲインズバラの友人であり、そのピクチャレスク論で、「ピクチャレスク」を第三の美的範疇として「美」と「崇高」のあいだに位置づけたことで知られています。プライスにせよナイトにせよ、「彼らによってピクチャレスクは単なるコンセプトであることをやめ、造園や建築や旅行者にとっての生きた原理となる」(65頁)。ちなみに建築の場合のピクチャレスクとは、古典主義/パアディアンにあるシンメトリーを壊すとか、不規則性を導入するとか、多様性を持たせるとか、そういうことです。

プライスもナイトも、ともにランスロット・ブラウンやハンフリー・レプトンに批判的であることは同調していますが、ナイトはアリソンの系譜を引く観念連合論者であったことが、いわゆるピクチャレスク論争に特徴を与えている点かもしれません。

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