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2011年7月16日 (土)

JAMES F. O`GORMAN, THREE AMERICAN ARCHITECTS RICHARDSON, SULLIVAN, AND WRIGHT 1865-1915, The University of Chicago Press, 1991

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著者のジェームズ・F・オゴールマンはヘンリー・ホブソン・リチャードソンについての著作があり、本書でも全体を通してリチャードソンは通奏低音のように続く。また最終章の「プレーリー・ハウス」は昨年710日のアンソロジー(こちら)に収められたものと同じである。

ヘンリー・ホブソン・リチャードソン、ルイス・ヘンリー・サリバン、フランク・ロイド・ライトという3人の米国の「国民的建築家」について、” muse, master, and man”というルイス・マンフォードの言葉をなぞりながら冒頭で簡単な見取図が示される。言わずもがなミューズはリチャードソン、マスターはサリバン、そしてマンはライトである。あるいはこの3人は米国建築史におけるホップ、ステップ、ジャンプのような存在とも言い直せるだろうか。リチャードソンが早世し、サリバンが晩年廃人となり、そしてライトによって二人が目指したものが最終的に実現された、と素描するとできすぎた物語構造になるだろうか。

各建築家に2章ずつ割かれ、全体は計6章からなる。

冒頭の「ピクチャレスクの訓育(Disciplining the Picturesque)」はリチャードソン以前の英米建築を風靡していたピクチャレスク・エクレクテイシズム(別名「ビクトリアン・ホラー」)を、リチャードソンがいかに訓育したかが述べられる。このいわば雑多なごった煮をリチャードソンはいわば原始的なものへの回帰によって超克しようとしたといえる。とはいえリチャードソン自身、様式建築を放棄するわけはなく、リチャードソニアン・ロマネスクと呼ばれる独特のロマネスク様式でそうしたのだった。その特質は柱や壁、マスやボイドといった基本要素の強調、静謐さ等である。さらに述べればこれら基本要素は20世紀モダニズムの基本語彙でもあろう。

また同時代者であるM.M.W.との相違も指摘される。M.M.W.もリチャードソンもともにヨーロッパの建築語彙を用いてアメリカの建築を造る点では同じだったが(M.M.W.もリチャードソンもボザールで教育されている)、M.M.W.がアメリカン・ルネサンスと呼ばれた当時の米国の状況を後期ルネサンスと位置づけ、ルネサンスの語彙で設計したのに対し、リチャードソンはあくまで中世的あるいは「原始的な」ロマネスクでそうしようとしたのだった。本書ではエマーソンとの関連も示唆されるが、彼がルイジアナ出身のフランス系米国人であったこともロマネスクと関係しているのだろうか。

リチャードソンが後続世代に与えた影響も一瞥される。マーシャルフィールド商会ビルはサリバンらのオーディトリアム・ビルの原型となり、クレーン記念図書館やグレスナー邸などはライトに影響を与えたとされる。「だがより重要なことは、クレーン記念図書館、オールドコロニー駅、マーシャルフィールド商会ビル、グレスナー邸やポッター邸、エームズゲート・ロッジにおいて彼は自身のよく練れたしかしまた新鮮で多様な建築形態を当時の米国社会のために創造したということであり、とりわけルイス・サリバンとフランク・ロイド・ライトというよく似た目的を持った建築家たちに、その個人的でありまた不完全な遺産、まだ十分に極められていない可能性を残したことである」(67頁)。

言説少ないリチャードソンに対し、サリバンは多くの言説を残している。

サリバン独特のアールヌーボー装飾や複合形態に影響を与えたのはフランク・ファーネスだったことがまず述べられる。ファーネスに影響を与えていたのは当時の装飾理論、オーウェン・ジョーンズの『装飾の文法』(1856)、クリストファー・ドレッサー『装飾デザインの原理』(1873)、V.M.C.ルプリッシ・ロベール『花装飾』(1866-76)、そしてヴィオレ==デュクの『建築講話』(1863-72)だったという。

当時のシカゴは大火災のあと急速に都市化が進みつつあり、サリバンが手掛けたものの多くはオフィスや商業施設など広義の商業施設だった。「彼は骨組みをデザインしており、リチャードソンの作品例をきわめて一般的な方法でのみ適用できた。リチャードソンが決して直面することのなかった建物プログラムや構造テクノロジーに相応しい表現を明らかに探した」「これら事実は都市の建物をサリバンの秩序に合うよう求めた。つまり1、機械室を格納する地下、2、店舗のための地上階、32階は主にその1階の延長、4、上部は各階毎にオフィス、5、最上階はその終点であるとともに機械システムのリターンを格納、そして共通の玄関である」(97-98頁)。今日にまでいたる都市建築の基本構成であるとともに、古典建築の構成の反映であろう。

そしてライトによれば「ウェインライトのファサード・パターンをサリバンが見せたとき、リチャードソンからのブレークスルーだと(ライトは)気づいた。だがこうも言う。ファサードはサポーティングシステムと無関係と見えた」「ファサードは、とサリバンは書く。先の分析を反映すべき。高層ビルの外部表現はそのものの本性からしてその建物の機能に従う。機能が変わらないなら形態/形式も変わらない。これは建物内部の機能には有効だったかもしれないが、構造外殻を無視している」「ウェインライト・ファサードのこの両義性はギャランティー・ビル他にも当て嵌まることにライトは気づいていた」(98-99頁)

最終的に「シュレジンジャー+メイヤー商会(カーソン・ピリー・スコット百貨店)では上昇感を目的とすることは放棄され、アーチも採用せず、幅広の水平連続バンドとそのあいだに挿入された細い不連続な垂直線によるグリッドを形成した。これは彼のいかなる公式よりもほとんどフレームを強調した」(102頁)。

著者の立場からして結局、サリバンはリチャードソンとライトの繋ぎ役のような述べ方がされる。

最後の2章はライトについて。いくつか引用を。

「ウィンズロー邸はリチャードソンを基本としてサリバンのタッチを取り入れており、明らかに独立直後、先行者の作品への関係を表している。リチャードソンの静謐な形態を消化するとともにサリバンの装飾アクセントを採用したのである」(124頁)。

1901年の『レディーズホームジャーナル』上の有名なプレーリーハウスの記事について述べた部分では、この建物の多くの部分が、リチャードソンに負っていたことが分析される。だがまたロビー邸について述べながら、「ライトの水平線の強調・・ロングスパン、長い片持梁、十字平面、開放的な室内、プレーリーハウスに特徴的なダイナミックな三次元の形態構成は、リチャードソンに典型的な伝統的耐力壁による閉じたブロックとは無関係である」「これはもっぱら鋼鉄の使用で可能となり」「これはリチャードソンの時代では能わぬものだったのである」(140頁)

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