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2012年1月

2012年1月23日 (月)

パトリック・ゲデス『進化する都市』西村一朗他訳、鹿島出版会、1982

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原書は今日から約100年前に書かれ、「都市計画」の教科書の一つとされてきた。書名はハーバート・スペンサーの影響を連想させるが、スペンサーの名前は後ろの方でオーギュスト・コントとともに触れられるに留まる。

いくつかメモ的に。

著者の考えでは都市研究の始祖は古代ギリシアのアリストテレスとされ、アリストテレスは163の都市を比較し都市構成を比較しただけでなく、概括的に都市を見ることを主張したという(37頁)。

有名なコナベーション概念が本書において初めて登場するのは第2章においてで、大ロンドンに関してである(55頁)

8章ではイギリス、フランス、アメリカ、ドイツの都市の状況について概観される。アメリカとドイツの都市、および都市技術についての記述が面白い。続く第10章はそのドイツについて「ドイツ的組織化とその教訓」として述べられ、最後のところで再度イギリスの課題に戻ってくる。

11章ではイギリスの植民地都市についても一瞥が与えられる。「たとえばニューデリーは大英帝国的な手法において単にキャンベラを大きくしたものにすぎない」「かつて都市計画は帝国の政策の一部であったことを思い出しておくのは良いことであろう。都市計画は全体としては、ローマ帝国から近代のパリに至るまで、また現代としてはホワイトホールからニューデリーに至るまで支配者や国家の偉大なる力と栄光の表現であったが、いつまでもこんなことに限定される問題ではない。都市や町に住む人々は「われわれが入るのはどこ、そしていつ」という質問を素朴な直接さでもって、増やし続けているに違いない。イギリス本国においては、それに対し、住宅供給-旧技術ではなく新技術によるもの―が主要部分をなす解答が現れ始めている」(220頁)。

著者が本書において主張しているものの一つが「市政学」である。第13章は「都市計画の教育と市政学の必要性」と題し、この「市政学」を主張する。「都市計画教育は、これまで建築教育に悪影響を及ぼしてきたあまりにも形式的で技術的な訓練に陥ることのないようにしなければならない。ではどうしたらこれを確かなものにできるだろうか。方法は一つしかない。すなわち、都市の生命や作用にまで触れた生気に満ちた教育を行うこと、一言で言えば、市政学の研究によってなしうるのである。建築は常に正当にも芸術を規制すると主張してきたが、今や一転して都市計画が建築を規制するものであると主張している。もし、そうならば、都市計画を規制し教育するものとして、今度は市政学をさらに主張することを避けたり、逃れたりすることはできない」(263頁)。

同じ章におけるオスマンのパリ計画についての総括は興味深いので、少し長いがそのまま引用する。

「当初はすべてが完全にみえ、すべてが成功だった。ナポレオンとオスマンが夢み、計画し、努力したものはすべて実を結び、最上の予想をも上回るものだった。人口の流入・増加とともに先例のないほど熟練・非熟練の別なく労働に対する需要があり、しかも雇用の調和がとれていた―たとえば地主にとっては地代と地価が上昇して栄え、市の増大する予算につれて税金も増えていった。そしてそれは新しい公共事業や安定した給料をもらっている公務員の増加のために費やされた。政府は、両方をしながら、それでもなお陽気にやっていた。建物や建設事業で財産があっという間につくられ、土地の投機や金融においては概してそれ以上だった。そしてこれらの利得はあらゆる種類の贅沢な出費に―食物や酒に、召使いや馬車に、衣装に、宝石に、そして芸術品にどんどん消費された。その結果、フランス人や外国人にとってのパリの魅力がますます増大し、商店、ホテル、カフェ、劇場、寄席などさらに盛んになった。都市計画家がこれほど成功を収めたことはかつてなかったことである。その後、他の都市が他のすべてにも増してオスマンのすばらしい先例に従おうとしたことに何の不思議があろうか。

しかし、この大都市的発展のすべてが、いかに1870年から71年の瓦解と関係し、いかにしてコミューンに導かれたか。そして、そのために幕を閉じることになった悲劇的な混乱と容赦のない抑圧を準備することにいかに力を貸したかということは歴史の汚点であり論じ尽くされるどころかなお戒めとなるところである。

より日常的な成り行きに戻り、公衆衛生についてのべよう。埃っぽい並木道や風通しの悪い中心部の見かけは申し分ない中庭が庭園や遊び場と大がかりにとって代わり、どんなに子供や母親の健康を脅かし、人々の間に酒飲みや結核その他の害悪を蔓延させているかいうことを医師は指摘している。また経済学者は高価で贅沢な新しいアパートの家賃が高騰し、そのためにいかに家計の他の支出が抑えられ、多方面にわたって社会不満と不安定とが増大したか―とりわけ小っぽけな部屋の小さなアパートが一般化して、いかにパリ人の家族の限界を強制し、そのことが今度はフランスの力と成長の限界の実例となったかということを記録している」(270-271頁)。

同じ章の少しあとでは、ダブリンとエディンバラがこの時代、既に衰退しつつあったことが記されている。

さて最後に「都市の精神」と題された終わり近くの章から、これも長めに引用。

「我々はわれわれ自身いかにこの陰鬱な町が美と若さを持続して来たかを知っている。我々はいかにこの町が名誉の時代を生きてきたか、いかに友情の偉大な時代を過ごしたか、またいかに新たな犠牲と闘争を繰り返しつつ勝利に震え敗北に泣いてきたか、またいかに変化してやまぬ運命を担いつつ、より変化しやすい心情と勇気の中に世代世代を通じて辛苦を重ねて来たか知っている。イギリスやアメリカの繁栄している都市の集団を見るとき、我々はあまりにも容易に歴史的過去を忘れ、単に町を近年の工業と鉄道の発展の中にのみ考えているので、現在の町の形式がなお変化と流動の中にあるものなのにもかかわらず、原理的には終局の姿にあるものと考えるようになっている」(312頁)。

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