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2012年2月

2012年2月15日 (水)

Siegfried Giedion, Building in France, Building in Iron, Building in Ferroconcrete, introduction by Soktatelis Georgiadis, translation by J.Duncan Berry, The Getty Center for the History of Art and the Humanities, 1995

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『デル・チチェローネ』誌に連載され、1928年に初版されたギーディオンの有名な書の英語での再版である。近代建築史では必読書の類ではあるかもしれない。書名通り、フランス、それも主として19世紀から20世紀初頭にかけての鉄と鉄筋コンクリート構法について、ギーディオン独特の筆でまとめたものである。

最初の方で、西洋における建築概念が石という素材に結びつき、かつこの概念とこの素材が持つ永続性という考えが一瞥されたあと、鉄の普及がそうした伝統的概念に与えた衝撃について触れられる。「石」とか「永続性」で思い浮かぶのは「墓」であり、アドルフ・ロースの有名な「森の中の墓」の喩えを持ち出すべくもなく、伝統的な建築がこの点で実は「死の欲動」と結びついていたとすると、劈頭において著者が建築に置く基本価値の源は「LIFE」である。広い意味ではこれも人間主義の範疇にあると言えるが、LIFEという価値から始まる近代の建築が究極において見出すのは、造形でも空間でもなく、あるいは造形や空間がその方便であるものとしての「AIR」であると、あるところで明白に述べられている。

いずれにしても冒頭は「構法」と「工業(産業)」の章から始まる。

個人生産から集団生産へ、工芸生産から機械生産への移行を条件付けたのは産業化(工業化)であり、これによりそれまでのギルドが解体し、自由競争が始まったとされ、それはまたフランス大革命において始まったと述べられる。さらにこのことを明言したのはサン・シモンであったという。「社会全体が産業に拠っている」(サン・シモン)。

工業化と構法の変化による建築の変化、LIFEとAIRの建築について「1世紀前に構法と産業に向かっていた見えざる力は、今は住宅に向かっている。今日の内的態度は住宅を要求する。重力の超克。軽いプロポーション、空気の軽やかな流れ。まず前世紀の構法が抽象的方法で示され、そして一般的なLIFEのプロセスに一致するところまで来た」(93頁)。

建設者の章では、アナトール・ド・ボー(『テクトニック・カルチャー』にも登場する)の強い主張が繰り返されるが、ド・ボーの1880年代の主張が、1920年代のル・コルビュジエにおいてほとんどそのまま主張されているのを見る。

さて(鋳)鉄である。

19世紀フランス建築の両極として、ボザールとポリテクニークが措定される。ボザールはナポレオンによって設立され、それゆえアンシャン・レジーム期の機関を復活させるものとなったという。他方、ポリテクニークにはガスパール・モンジュ、ジョセフ=ルイ・ラグランジュといった大数学者や物理学者、サンシモン主義者が集まり、7月革命の原動力の一つになったという。

19世紀フランスの建築雑誌を通して見られるのは、「1、(ボザールかポリテクニークか)どちらの線に沿って教育するべきか、2、技師と建築家の関係は何か? その権利はどう分配するか? あるいは一体のものか?」(100頁)だったという。他の全ての議論は二次的だったという。

石と鉄、ボザールとポリテクニークという両極を措定した場合、後者は前者を前提とした建築からの逸脱を示したことだろう。鉄によって「壁は透明なガラスのスキンとなり、耐力壁をデザインすることは耐えられない茶番となる。これは新しい設計法則にいたる」(101頁)。「素材をいくつかの点へと凝縮することでかつて知られなかった透明性が現れる。他の物への宙吊りされた関係、エアロスペースの創造、オクターヴ・ミルボーが1889年に既に認識していたdes combinaison aeriennesである。(エッフェル塔のような)高い構造体の中を通り抜けるような、浮遊するエアロスペースに包まれるこの感覚は、飛行が実現される前に既にその概念を先取している。まさに新しい建築の形成を刺激した飛行の概念。表層的な形態派生ではなく、内的法則によるものである」(102頁)。

続いて19世紀フランスにおける鋳鉄建築が概観されていく。まずはラブルーストのサント・ジュヌヴィエーヴである。これも『テクトニック・カルチャー』で詳述されたものである。ここではラブルーストのよく言われる考えについて。「アカデミーの学生は古代ディテールの美しいドローイングを描くが、彼らは建物の内的有機性を完全に見落としている。「芸術的観点から見た最良の建物は、最も簡素で最も真実に満ちそして最も合理的に建てられたものである」ことをラブルーストは看取した。彼は新たな可能性によって与えられた構法の意味を最初に拡げて見せた。構法の本質は石工や鍵屋の孤立した工芸ディテールのスタディにあるのではなく、建物のそれぞれの部分の相互性に見出されることを」(106頁)。

こののち鋳鉄とガラスの建築は、市場や駅舎やデパート等において急速に普及していく。ルイス・マンフォードが『都市の文化』において酷評していたガレ・デュ・ノルドのような駅舎建築を高く評価しているあたりは興味深かろう。

鋳鉄とガラスの建築の集大成かつ完成形と著者が見做すのは、1889年パリ万国博における機械館(The Palais des Machines/Galerie des Machines)である。建築家はシャルル=ルイ=フェルディナン・デュテール、また建設者が鉄筋コンクリートの開発で名前が出てくるコッタンサンであるのは興味深い。スパン115m、高さ45m、長手方向420mのこの大構造物を著者は絶賛する。とりわけ断面形における鋳鉄のアーチとピン接合の構造形を絶賛する。長くなるが引用してみる。「各部材はホール頂部でボルトで固定される。ヒンジ接合。下では大梁は次第に細くなっていき、地面にほとんど接していないかのようである」「石や木の構法と反対に充填材はない。これらトラスは極めて軽いがそれと言うのも鋼鉄フレームがこれほどの規模で使われた最初のものだからである」「柱は残滓さえない。支持と荷重が一体化し、分ける事は不可能である」「これは我々のカリアティードの象徴である。古代の威厳によってでもバロックの威光によってでもなく荷重を支えている。力との一体化。下に向かって細くなる大梁の先端は最早剛接合ではなく、動く。重さとともに120,000キロの水平スラストを、ヒンジジョイントを通して地面に直接伝達する。この支持構造で応力なしに基礎の動きさえ起こる。あらゆる点の力を制御するこれが唯一の方法である。

1878年のディオンのホールにはまだあった支持と荷重の分離は、ここでは抹消されている。鋳鉄スケルトンはその真実の形態を見出した。巨大な力が均衡しているが、支持と荷重のように剛ではなくほとんど浮遊しているかのようである。つねに変化する力に大胆に措定された均衡なのである。。。。」そして太い字体で「構法は表現となった」さらに太い字体で「構法は形態となった」と締めくくられる(142頁)。

鉄の構造体の最後にくるのはエッフェル塔である。世紀の変り目に登場したこの構造物は、ポリテクニークの勝利を謳っているかのうようでもある。

続いて鉄筋コンクリート構造について述べられる。まず鉄筋コンクリートの性質と、ジョセフ・モニエやフランソワ・エヌビックといった『テクトニック・カルチャー』にも登場する初期の歴史が概観される。鉄筋コンクリートは「自然界から単一素材として引き出せない。つまり人工的に構成されたものである。起源は研究室。細い鉄棒、セメント、砂、砂利、「集合体」からなり、漠然とした複合体が、これほどの耐火性能と耐荷重性能をもった自然素材はかつてないとほどの、単一のモノリスへと突然結晶化する」(151頁)。

鉄筋コンクリートの開発についてその計算と施工の方法の開発について述べたあたりに目が行く。「エヌビックは天井、小梁、柱を連続した単位に繋げることに成功した。モノリスとしての建物が可能となった。独立した鋳鉄柱は鉄筋コンクリートの支柱に変わった」「さらに最近では、木構法の残滓であった小梁の消去に成功した。大梁のない天井!」(150-151頁)。

鉄筋コンクリートについてまずオーギュト・ペレ(とトニー・ガルニエ)について述べられる。有名なフランクリン街の住宅の描写を引用する。「深く後退したり張り出している。剥き出しの角柱で片持ちの6層が吊られ、ファサード全体が運動している」(154頁)。続くポンチュ通りのガレージでも、シャンゼリゼ劇場でもそうだが、著者の評価は薄いコンクリートや、構造体があたかも吊られたものであることなど、さらにフレーム構造ゆえの空洞性などにある。ペレの建築は基本的に鉄筋コンクリートをフレーム体、篭構造として扱うものだった。木構法の残滓とも言えるし『テクトニック・カルチャー』の記述では、耐力壁構造に対してフレーム構造に高貴な含みがあることが示唆されていた。ただこれとは別に、シカゴフレームが鋳鉄による篭フレームであったことを考えると、初期鉄筋コンクリート造におけるフレーム構造のあり方は今一度吟味されてもいいかもしれない。

終章は、鉄筋コンクリートと主としてル・コルビュジエについてである。著者とル・コルビュジエの関係からして、ここではわざわざ記さない。

さて、本書にはソクラティス・ゲオルギアディスによる序文がついている。主に19世紀ドイツ系の建築論、とくに鉄が登場して以降の様式と形態と構法関係の諸理論についてである。ゴットフリート・ゼンパーの建築論に対してカール・ベティヒャーの建築論がまず対比的に示され、そこから話が進んでいく。個人的に興味深いのは、アルバート・ホフマンらによる「線の美」という概念。これは建築家の美に対して技師と技術に出自する美学として示されるが、この鉄材の直線による美には、ウェブとフランジの構成とか断面二次モーメントとかの断面形もおそらく関係しているだろうし、その点では当時可能であった構造上の計算方法にも関係しているであろうし、製造方法とも関係しているであろうし、さらには柱梁構造の先行体である木構造によって形成された美学にも、実はあるいは関係しているのかもしれない。

もう一点、19世紀末欧米に対する当時の日本の影響である。コーネリウス・グーリットが1890年代、ゼンパーとベティヒャーの論をある程度肯定しつつも拒否し、持ち出すのが「日本」である。

「グーリットにとって新しいパラダイムは日本芸術だった。その形態は利便性の法則から単に引き出され、抗いがたく芸術的である。さらに象徴的意味を伝えている。これによってこそ「技師によって発明された」形態を芸術の領域にグーリットが言わば統合したものである」「当然、この説明はかつてのベティヒャーやその「科学的芸術」の主張者達への批判と矛盾を来たす。グーリットは語る美についてこう譲歩はする。数学的計算による純生産物ではある。そうだとしてこう言えるだろう。グーリットの貢献は当時の議論となりつつあった新しいある理念に典型的なものであると。「利便性」「ザッハリッヒカイト」、それに「合目的性」というマジカル・ワード、さらにこれらの言葉の含み一切の議論の、土壌を形成したことにあるのだと」(24-25頁)。

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