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2012年8月14日 (火)

ロン・チャーナウ『タイタン ロックフェラー帝国を創った男・下』井上廣美訳、日経BP社、2000年

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ジョン・D・ロックフェラーの評伝である。著者によればジョン・Dは敬虔なプロテスタントで、その現役時代の活動も、第一線を引いてからの慈善事業も、ほとんど宗教的活動のように本書では描かれている。些細なことだが本書の記述によれば、ジョン・Dは一日7時間半の睡眠をとるロングスリーパーだったようだ。またキャラ的には金融王JP・モルガンや、鉄鋼王アンドルー・カーネギーとも対照的な、冗談も言わず、禁酒禁煙の堅物だったという(ここに登場しないのは、鉄道王のヴァンダービルトくらいか)。

ジョン・D・ロックフェラーはスタンダード石油をして、一大トラストへと築き上げた経営者である。常套句のように言われるのは、同業他社を価格競争で市場から追い出し、鉄道輸送独占によって競争に勝ち抜き、市場の独占化によるその冷徹な競争は云々・・・であろう。ただ19世紀後半の石油市場の主力商品は灯油であり、石油産業が20世紀に存続しているかと、当時は議論されていたという。

ここでレーニン流の帝国主義論を大雑把に述べるなら、資本主義は恐慌の度に再編されていき、トラストやカルテルといった独占資本はその再編の最終形態であり、四大帝国(米国、ドイツ、大英帝国、そして大日本帝国)が、国家=総資本+総労働力の市場と資源を求めて、世界の再分割を行う争いへと入っていき、この過程でまさに国民国家を超える国家=帝国によって世界は・・・となり、なおかつ歴史区分としてこれは1890年代以降を指して、そう呼ばれたと言っていいだろう。

恐慌と資本の再編とその後始末という点で見れば、よく言われるのは1929年恐慌とその後始末である第二次世界大戦である。ただ勿論、ホブソンやレーニンが帝国主義論を著した契機である1890年代における、1893年恐慌とこの時代のトラスト、そして米西戦争もまた、一見まさにその分析の通りに進んだように見える。

ただそこに生きた人たちは、そう単純に生きていたわけではないことも、本書のような評伝では見えてくる。

1893年恐慌ののち、いったん共和党のマッキンレー政権が誕生するものの、マンキンレーはあえなく暗殺され、続いて登場してくるのが反トラスト・反独占を掲げるセオドア・ローズヴェルトであった。著者の視点では、ローズヴェルトは政治的には雑種だったという。

いずれにせよそのローズヴェルトが標的にしたのがロックフェラーである。1890年代の独占資本主義時代は、同時にシャーマン反トラスト法の時代でもあり、当時のマスメディアは、ロックフェラーVSローズヴェルト、独占資本VS国家、ニューヨークVSワシントンD.C.と囃し立てた、という。

結局、ローズヴェルトによって、つまり中央政府によってスタンダード石油トラストは解体されてしまう。ただこれによってジョン・D自身は実質的に第一線を退くとともに、個人的にはスタンダード株の急騰も相まって、空前絶後の大富豪となる。

さらに世紀の変わり目とともに、フォードがT型フォードの開発に成功、自動車の大衆化によってガソリンが石油主力製品となり、かつて半世紀も続くのかと思われていた石油産業は20世紀を象徴する産業へと急成長していく。

ジョン・Dの慈善活動の中心は医学であった、という。当時の米国では、医科大学は入学資格も問われず、またその授業は開業医が副収入を得るためのもので、そもそも「研究」という概念もないようなものだったという。マンハッタン・イーストサイドに設立され、日本では野口英世による黄熱病研究でも知られるロックフェラー医学研究所は、こうして米国初の医学研究施設として設立された、という。ジョン・Dはこののち中国初の医科大学を北京に設立しているが、中国へのこうした慈善活動は、当時の米国のプロテスタントが中国での布教に力を入れていたから、という。

いわば宗教的な守銭奴であった父親に比べ、息子ジョン・D・ジュニアはありがちかもしれないが、リベラルで文化的なことにも造詣が深かった。

第一次大戦後にヨーロッパを旅行し、ベルサイユ宮殿が荒れ果てているのを見て、その修復費用をフランス政府にぽんと払い、フランス政府から大変感謝されたという。有名なクリニュー修道院の修復にも関係し、そしてマンハッタンでは有名なクロイスター美術館は、そのクリニューをモデルとして建設したものだったという。

彼の妻であったアビーの活動も突出している。メアリー・サリバンらとともに、のちの世界の現代美術の殿堂となるMoMA(ニューヨーク近代美術館)を設立している。アルフレッド・バーやフィリップ・ジョンソンの名前がちらりと記述に出てくる。1935年、同館は建築家のグッドウィンとエドワード・ストーンによって「インターナショナル・スタイル」の建物としてまとめられる。

ジョン・Dジュニアについての記述で大団円は、ロックフェラー・センターの建設であろうか。コールハースの『錯乱のニューヨーク』でも、同施設建設は記述のクライマックスの一つをなしていた。

同施設はもともと今日でいえばジェントリフィケーションとして、場末感漂う地域の再開発事業として始まり、当初この施設の核となるのは、オペラ劇場だったという。この点ではアドラー+サリバンによるザ・オーディトリアムやブルーノ・タウトによる『都市の冠』を彷彿させるだろう。

底地はコロンビア大学の所有で、土地の賃貸契約を済ませたものの、オペラ計画が頓挫、高い賃料を払いながら、計画が宙に浮いてしまったという。オペラに代わって持ち上がったのが、有名なミュージックホール施設であった。

コールハースが「天才なしの傑作」と呼んだこの施設は、色々な点で不思議な建築である。都市型複合施設はこれ以前にもあった。ただオペラではなく、ロケッツガールズのミュージックホール、RCAその他のテレビ・ラジオと結びついたマスコミュニケーション施設、ハイカルチャーというわけではない新しいメトロポリスの娯楽施設と、店舗、オフィスのメガ複合体。鉄道コンコースとの一体化等々。

デザイン的にはブリリアントなモダニズムというわけではなく、マンハッタンではよく見かけるインディアアナ州産のライムストーン張の折衷的なオフィス・デザイン。ウォーレス・ハリソンやレーモンド・フッドら設計の中核にいた建築家はボザール出身者であり、それがこうしたデザインを結果したと言えなくもない。のちのエンパイアステート・プラザのデザイン等を見ても、ハリソンはニューヨークのローカル・アーキテクトだな、と思うことがある。

建築を資本の観点から見るなら、大雑把に二種類に分けられる、と思う。収益施設と、非・収益施設の二つである。

工場や倉庫といった生産施設は勿論、店舗、賃貸住宅、オフィスなどのいわゆる収益施設はこっちに分類されるだろう。そこで機能性と呼ばれるものは、最終的には収益性へと翻案される。

他方、美術館や修道院といった施設は収益を目的として必ずしも建設されるわけではない。むしろ寄付や慈善事業をあてにしていることもある。

面白いのは、20世紀初頭のヨーロッパのモダニストや、米国のルイ・カーンのような建築家が、中西部の穀物サイロに見た不思議な記念性とか、アドルフ・ロースが配管に見た不思議な美学など、前者のなかに不思議な魅力が浮かび上がってくることもある、ことである。

またロックフェラー・センターのように、収益施設でありながら必ずしも収益部門と呼べないかもしれないものとのメガ複合体を形成することで、不思議な性格を帯びてくる、ということもある。コールハースの言葉を用いるなら「ビッグネス」というのも、集積複合体がまた新しい性格を持ち得る、ということになるだろうか。

同施設建設によって、ウォール街26番地のスタンダード石油のオフィスからここへと、ジョン・Dジュニア達は仕事場を移してくる。本書には、そこから約80キロ離れたポカンティコのロックフェラーの自宅につての記述も時々登場する。本書には登場しないが、吉村順三の晩年の作品に『ポカンティコヒルの家』というのが、あったはずである。ジョン・D・ジュニアの息子の住宅ではなかったか。

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