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2012年11月23日 (金)

FRANK LLOYD WRIGHT, LOUIS SULLIVAN AND THE SKYCRAPER, DONALD HOFFMANN, DOVER PUBLICATIONS, INC. Mineola, New York, 1998

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前半でルイス・ヘンリー・サリバン、後半でフランク・ロイド・ライトのそれぞれスカイスクレーパーについて述べ、かつ対比的に論じている。二次元的なファサードデザインを旨とするサリバン、三次元と構法から考えるライトと、大雑把にそう纏められるだろうか。また全体としては冒頭で都市における不動産価値=収益性にスカイスクレーパーの発端を見ながら、掉尾にはライトのプライス・タワーを置き、オクラホマの低密度地域へと解消していくさまを見る、という感じである。

ざっと見ていく。

第一章「収益のエンジン」では不動産収益を上げるための産物としてスカイスクレーパーが登場したことを踏まえながら、ルイス・ヘンリー・サリバンと、A.D.H.ホフマン、ジョン・ウェルボーン・ルートらが対比的に捉えられる。サリバンは単に収益性から建物を高くするのではなく、建物の上昇感を強調することで建物の情感的・精神的側面を強調することを唱えたからである。

第二章「..desideratum」はオフィスあるいは不動産に最も欲望されるものとしての「太陽光」についてみていく。最終章におけるスカイスクレーパーの両義性(都市的/反都市的性質)が現れるのは、このdesideratumとしての「太陽光」においてであると言っていい。冒頭にはまたゴットフリート・ゼンパーの英訳者であるフレデリック・ボウマンも登場する。ゼンパー、ボウマン、アドラーという流れになっているが、ドイツ系人物を通してゼンパーがシカゴに入って来た様子がわかる。

ボウマンはゼンパーに影響されたであろう実技書のようなもの(『あらゆる種類の建物の根本技芸』)を出版し、それがピーター・ブルックスに影響を与え「太陽光は大いに欲されるもの」と言わしめ、アドラーをして「古典」と言わしめたもののようである。ボウマンのスカイスクレーパー論は“The Sanitary News18843月号に登場した、とある。さらに同年『高層建物構法の改善』と題した冊子を出版している。それによれば、最も重要な四要素とは「太陽光、利便性、空間、時間」であり、スカイスクレーパーの登場を完全に理解していたのだという。

投資家のピーター・ブルックスは「これ以降、シカゴの高層建物の収益性はきわめてよくなり、いずれ高層建物が建設されるだろう」と、オーウェン・オーディスに1881322日に書簡を送ったという。(9頁)

もう一人の登場人物は技師コリドン・T.・パーディである。「鉄骨フレームの発展で最も進歩的建築家は、ウィリアム・ル・バロン・ジェニー、バーナム+ルート、それにホラバード+ローチ」としたという。

ここではジェニーのホーム・インシュアランスが「シカゴ構法(バンハムがシカゴフレームと呼んだもの)」と同義で使用されている。

さらにバーナム+ルートのザ・ルーカリーでは、大梁のウェブに丸穴をあけて軽くするとともにこれを装飾的に用い、階段手摺をはじめとしたメタルワークの開口を増やして光の透過率を上げたことが述べられているが、これは実はウェブに穴をあけた初期の例ではなかろうか。ルートは光の重要性とエレメントの装飾性、さらに鉄の重量とI型鋼の断面二次モーメントという問題を完璧に理解しながら、この設計/デザインをなしたであろうことがよく分かる。(アドラー→Engineering Magazine, ジェニー→Engineering Review

続く三章はサリバンについて、とりわけセントルイスのウェインライトビルを中心に、批判的に見ていく。

この建物の計画はセントルイスのウェインライト家がオフィスビルを構想したところから始まり、ある時点でシカゴのアドラー+サリバン事務所に話が振られたという。

建物はサリバンが述べる金属構法に吹付耐火被覆、それにテラコッタの外皮がつく。金属構法の要となっているのではペンシルベニアにあるフェニックス鉄鋼社のフェニックス・コラムと呼ばれる組立型円柱である。

四分円をリブでボルト固定して円柱とするもので、当時広く使われたという。なおかつこの柱の考えは古典的な人体相同的な円柱とまさに対局をなす「機械的」な部材だったという。

サリバンの有名な「形式は機能に従う」という謂いはいわば二次元的なファサード・デザインについて述べたもので、これはウェインライトで定式化された三層構成について述べたものだったと言っていい。

実際、サリバンは装飾家とでもいった感じで、軽快な金属構法に装飾を施したテラコッタ耐火被覆を被せていくことで、欲されるものとしての太陽光の透過を低減させていったという。テラコッタ外皮は単に時代によるものではなく、ここで例示される「ウィロビーオフィス」という無名の当時のオフィスビルと比較してさえ、サリバンの外皮は過剰であった。さらにファサード・デザインを優先するあまり、単に装飾だけでなく四隅をコーナーストーンのように囲ってしまい、内部空間を暗いものにしてしまっている。

また「形式は・・・」の一部である最上階はトイレと散髪屋が収められているが、基準階のデザインと相違させ、視覚上のストッパーとするため、開口は小さな円窓だけになってしまっている。古典的なアティックを彷彿させる所以でもあろう。

さらには上昇感を謳うサリバンに対し、ウェインライトのファサード・プロポーションはむしろ正方形に近いことをも指摘し、著者はサリバンのデザインに対し「ラディカルどころかラショナルでさえない」といささか批判的な評価を与え、またザ・モナドノックとの比較も行う。このあたりの手つきはこちら(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/chapter7-jenny.html)とも共通するものがあろう。

後半五章はフランク・ロイド・ライトのスカイスクレーパーについてである。

1906年のサンフランシスコ大地震が、サリバンとライトの転回点のように引かれる。この地震後、サリバンは営業も兼ねて3週間に渡って現地を視察し、鋼製フレーム構造への確信を深めたという。

一方この当時、サンフランシスコにはRC造の建物はわずか一棟それも建設中のものがあるだけだったが、よく耐えたので地震後4年で128棟のRC造の建物が建設されたという。歴史的に見れば鋼製フレームあるいは鉄骨造よりもRC造の普及の方が新しく、また1871年のシカゴ大火が鋼製フレーム構造を普及させたとすれば1906年サンフランシスコ地震はRC造を普及させたとあるいは言えるのかもしれない。

さてライトはといえば当時サンフランシスコで最も高層だったコール・ビル(これは地震後に残った鋼製構造ビルだった)に近接して25階建のRC造のスカイスクレーパーを提案している。プランは異様に細長く引き伸ばされ、両端にコアを置き、そのあいだに周柱を配してこれで構造的に持たせる計画だったようだ。ロビー邸のプランを彷彿させ、またベアリングウォール・システムを彷彿させる。この計画は実現されず「サンフランシスコ・スカイスクレーパー・プロジェクト」と単に名付けられて終わる。

この案を発展させたものが、鋼製フレームとテキストタイルブロックに覆われたコア部分、それにガラス・カーテンウォールによって構成されたナショナルインシュアランス・プロジェクトである。

この計画も結局、実現されずに終わる。

ライトはさらに、もっと小さなスカイスクレーパーをマンハッタン・セントマルクスに計画するが、今度はこれは建主候補に「都心には向かないのではないか」とされ、中止となる。このスカイスクレーパーは上方に行くに従って階あたりの床面積が増えていくという緩やかな逆ピラミッド形をなした各階デュプレックス形式のスカイスクレーパーであった。プランは正方形に独特の風車型が45°繰られ、この効果で外観はプリズムのように見えるようになっている。

この案は少し変更して、結局、オクホマのプライス社のプライス・タワーとして実現される。

都市的集積からスカイスクレーパーが誕生しながら、その動因の一つである太陽光は実は反・都市的性質を持っており、結局、反・スカイスクレーパーのスカイスクレーパーとしてプライス・タワーが実現されたというあり方は、大変興味深い。

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