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2013年4月

2013年4月25日 (木)

Donald Hoffman, Frank Lloyd Wright Architecture and Nature, Dover Publications Inc., NY, USA, 1986

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カルチュラルスタディーズの次はグリーンスタディーズだという話が2000年頃あった。カルチュア(文化)とは人間の造ったものであり、その対義語は非・人造的なもの、つまり「グリーン」であるというのがその理由だったように思う。ついでながらこれと並行したものに、建築史という概念の見直しとして"The History of Built Environment"という言葉の導入があったように思う。個人的にこの言葉を初めて見たのはマンフレッド・タフーリの『ベネチア』(の英語版)で、「都市・史」あるいは「都市環境史」とでもしておいたが、最近この言葉の和訳と思われる「人造環境」(史)という言葉を散見するようになった。

本書の出版は1986年であり、そうした動向よりずいぶん前の出版である。こちら(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/franklloydwrigh.html)と同じ著者と出版社による書籍である。体裁もよく似ている。著者のドナルド・ホフマンはこの領域の専門家なのであろう。著者撮影と思われる静謐な(自然の)写真がちりばめられている。ただライトと自然を結びつけるのは有りがちであり、アールヌーボーという観点から述べれば当然そうした要素はあるだろう。しかしながら歴史研究という点ではむしろそうした概念(自然)こそ歴史的な文脈において個々検証すべきなのだろうとは思う。個人的にはライトを論じるのであれば、また違った文脈で論じる方が歴史的に意義深いし、そうすべきであるとさえ考える。

ライトの論文“In The Cause of Architecture”のなかのテニソンの詩の引用について述べた部分もある。またライトの窓ガラスのフラットバーが蝶やトンボの羽の隠喩であるといった記述に見られるいささか直接的な「自然」との類比なども、気になる部分ではある。

メモ的に。

自然と建物の相互関係でライトのタリアセンの床が大地に近い・・という記述は、ハイデッガーの「大地」あるいはゴッホの農民の靴についての言説を彷彿させなくもない。またライトが開口部によって壁は駄目なものにされてしまうと述べ、外開き窓(casement window)において縦線を重用した事や、これとはいささかニュアンスが異なるが垂壁を廃したことなどは、たいへん参考になるように思われた。

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2013年4月17日 (水)

西山夘三『復刻版 これからの住まい、住様式の話』相模書房2011

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古典である。

冒頭に「新日本の住宅建設に必要な10原則」が、末尾にロシア構成主義風の「付録・復興建設住宅の計画基準案」が掲載され、そのあいだに本論、つまり日本の住宅についての史的・計画学的分析が展開されていく。また本論中にはレニングラードに1929年に計画されたロシア構成主義風の共同住宅のプロジェクト(それが何かは特定が難しい)も掲載されているが、その後のスターリン時代の建築について日本にはあまり情報が伝わっていなかったのだろうか、とこれは思わせるものではある。

本文中にある「地につけた営利貸家業者は小住宅にこのような改革を行ったが、明治以来政府、財閥の御用技師として特殊建築や大邸宅の設計に腕を振るっていた建築家は人民大衆の住む小住宅にはあまり積極的な貢献をする位置にいなかったし、また能力も持ち合わせていなかった。建築学者は住宅に必要な部屋として・・中略・・こうした室の分類は、西洋風のしかも大邸宅ではじめて出来るもので、我国の現実とは大いに異なる」(183頁)といった建築家批判や建築学者批判も、実はロシア・アバンギャルドやハンネス・マイヤー/バウハウスが展開した建築家批判やアカデミズム批判を敷衍したもののように、この点からは思えてくる。

本論は「住まい様式の改革」、「床面坐と椅子坐」、「家生活と私生活」、「間仕切りと室の独立性」、「住生活の共同化」、「住空間の機能分化」、「家の種類と家具」、「住宅の型・生活の型」の8章からなり、各章はさらに見開き1頁ずつの節(トピック)からなっている。

冒頭章で「解決すべき問題」として、1、椅子坐/床坐(洋装/和装)、2、新しい家具と設備の採用、3、家事労働の合理化・機械化、4、生活の共同化、5、住生活の秩序付け、6、個人生活の確立、があげられ、この線に沿って各章で論が展開していくことになる。またこの章では「新しい住まい様式」と「国民住居標準化の諸問題」が提起されるという形をとっているが、冒頭の10原則中の第7に住宅産業の位置を高めるというものがあり、西山文庫が積水ハウスにあることから推察するに、積水ハウスをはじめとした住宅産業は西山のこの路線を粛々と営々と追ってきたのではないかと、また思わせる。

実質的な第一章と第二章である「床面坐と椅子坐」と「家生活と私生活」は、日本における近代化と都市化の在り方、家族や労働の在り方の変化がいかに住宅の平面の変化として現れたかを、実に鮮やかに示してみせる。

「床面坐と椅子坐」では、床形式が歴史的に跡付けられたあと(本書においても日本の「床」は南方・海洋建築の系譜として跡付けられる)、「床」は横臥伏臥つまり休息のためのものであり、これに対して「土間」が生産活動のためのものであり、都市化の進行とともに建売大工達によって「床」が不動産価値を高めるものとして都市の借家において次第に土間を駆逐するかたちで肥大化していったと、跡付けられる。言い換えるなら、都市の住宅は生産活動の場をその内部に必要とせず、住宅は主に休息のためのものと化していったことが跡付けられる。住宅内部におけるこの変化はもちろん、都市化の進行による「労働」と「休息」の分化に対応しているだろう。さらに言えば、生産の場を失った住宅はもっぱら消費の場となっていったと言える。さらにまた述べれば、住宅におけるこの変化、言い換えるならその内部から生産活動の場を消失させていったこの変化は、T..クラークなら家内制手工業的なカルティエ(や農家)から工場と労働者住宅の郊外という大街区制への移行として述べるだろうものである。

日本におけるこの「床」の肥大化はまた、床坐と椅子坐という日本独特の問題を伴ったことが検証される。椅子は土間において用いられることはあっても、(畳)床において用いられることはなく、それゆえ近代日本における和/洋という二重生活の問題として顕在化したことが、ここにおいて指摘される。

つまり、床=和式=和装=プライベート、椅子坐=洋式=洋服=表向きという住様式と住空間と服装における二重化である。

西山によれば、この問題に対して近代日本においては三つの対応があったとされる。一つは大邸宅における和式住宅と洋館の併設。これはしかし「もてあそび」であり単にバリエーションを増やしているだけで根本的解決をなしているとは思われない、とされる。二つ目は藤井厚二の聴竹居における畳丘のようなかつての土間を思わせるような腰掛型の畳床の在り方である。ただこれも一般的ではないとされる。これに対して著者が当面仕方ないが一般的とするものは、学生下宿のような畳床の上に椅子式生活を持ち込むやり方である。土間の消滅は休息以外の活動をも畳床上に持ち込むことになったが、椅子式生活は床式に比べて動作の移行が容易であり、生産的活動も可能であり、それゆえ問題は「土間」が消滅したあとの住宅における活動の再構成であると、問題点をまとめて見せる。この再構成の問題はもちろん後ろの方の間仕切りや機能分化など、住宅の内部構成の問題としてさらに論じられるものである。

「家生活と私生活」は続いて「家」の問題にまで踏み込んで論じる。前近代的な農家や家内工業における大家族は生産組織でもあり、家長は生産活動を取りまとめ統率する役割をも持っていた。これに対して近代的な小家族はもっぱら消費の集団であり、それは実は家長の家禄に生活のよすがを負っていた武士階級の各家庭に近いものだと言われる。そこでは男子は家禄(生活の糧)を得るための外部の業務に従事し、女子は家内部の活動=家事に専念することになる。

さらに「資本の原始的蓄積が進行しつつあった明治初年、すでに労働者の家族関係は封建的な家族制度とは異なったものに分解せざるを得なかった。」「世代的な家族成長の循環をくりかえしつつ家に定住している農村の家族では、まだ数世代にわたる家族を包含する場合が多い。しかし二三男の分家や離村を抑止していた封建的制度は撤廃され家族の規模と構成は単純化しつつある。都市においてはさらに農村の母家族から分離してきた青壮年と彼らが結婚して営む若い家族がたえず拡大的に補充され、それが相対的に大きな比率を占めること、職業その他の関係で都市的生活が家族の世代的分離を促す要因となっていること、等によって規模の小さい「小家族」が圧倒的となりつつある」(78頁)と述べ、都市化/近代化の過程で、それまでの大家族における二・三男を都市労働者へと、小家族という形態へと再編させていったことが瞥見される。T..クラークの謂い、都市とは農村からあぶれてきたあるものにとっては隷従に満ちたものであり、そして別のものにとっては黄金の道が続くものであった・・・が思い起こされる。さらにこの過程はこれだけに収まらない。資本主義は恐慌のたびに再編を繰り返すが、その矛盾を吸収するものとして今度はまた農村を含む「家族」が機能することになる。「そして事実、貧農小作人達の家計の補助としておこなわれた低賃金労働の上に築かれた我国資本主義は、度々の危機をこの家制度の弾力性ある負担によって切り抜けた。つまり失業者を家族主義の美名の下に農村家族に押し付けたのである」「人民大衆は職を求めるために伝統的な美俗である家族主義を容赦なく捨てねばならなかったが、その同じ理由によって、不況時には食を求めるために「家族主義」を賛美しなければならなかった」(79頁)。好況時には一方で労働力として小家族を形成させ、不況時には「家族主義」に押し戻すという形で、実は「家族」主義は機能していたことが窺われる。

もっともこれらの一文のあとに「明治以来の国民の生活を犠牲としてきた軍国主義的発展は、人民大衆の住居状態をこの様な低劣なものに」(80頁)と、「軍」という言葉を持ち出しているが、実は資本主義の矛盾解消装置として機能したのは「家族」(再生産のための集団)だけではなく、「軍」というこれとはまた別の集団、あるいは「死の家族」があったとも言えるのではないだろうか。不況時に失業者を「兵士」として吸収するのみならず、何かの戦争映画の台詞に下士官が新兵に向かって語った言葉「これからは隊長を父と、私を母と思え」に象徴されるように、軍隊は時として疑似・家族的集団としてあったとも述べ得る。

さらに述べれば、レーニンの『帝国主義論』では資本主義の最終形態と述べられた独占資本主義段階における「独占資本」も、実は家族(ファミリー)や「家」概念をその基本としてしているとも述べ得るものだろう。そうなってくると、実は近代化/都市化/工業化/産業化の過程とはまた、いかに人間を組織するかの問題でもあって、その過程において「家族」や「家」の在り方と概念は変化したのであるとも、述べ得る。

さて、家生活と私生活とは、家の生活はいずれにせよ集団生活であり、日本の伝統的家屋には「納戸」と呼ばれる寝室はあっても基本的に私生活の場はなかったとされ、その私生活の場の基本をなすのは「就寝室」であると、述べられる。寝室の確保は私生活、ひいては「個人」というものの確立にかかわるという伏線がここにはあろう。

後半の諸章では、住宅の再構成について具体的に述べられていく。「寝室」の問題にとどまらず、「進駐軍」がやってきて「日本の住宅は臭い」と言った逸話が引かれ、汲み取り便所に対して便所の水洗化の課題や、キッチン、水場の機械化などの諸方針が述べられていく。

今日から振り返ってみればこの問題をこの線に沿って着実に解決しててきたのは(旧・住宅公団もあるが)、積水ハウスなどの住宅メーカー、それに家電メーカーだったのではないかと、思えてくる。

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2013年4月 2日 (火)

サンワカンパニーMaterials2013

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サンワカンパニー様の2013年カタログに拙作(ハスネリノベーション)の写真が掲載されました。サンワカンパニー様、有難うございました。

イイネ。

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