« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年8月

2013年8月16日 (金)

Donald Hoffman, The Architecture of John Wellborn Root, The Chicago University Press, Chicago and London, 1973

Root

刊行されて40年たつ。それもあってかサリバンへのcriticismで見せた著者の切れ味はあまりない。あくまでジョン・ルートの建築について一通り見たもので、評伝ではない。

メモ。

サポーティング・ポイントはやはりザ・ルーカリー(1886)とザ・モナドノック(1891)。

まずザ・ルーカリーについて。

ジョン・ルートはラスキンを読みかつ影響を受けていたことが言われ、それゆえラスキンの反・モダニズムから三段論法でザ・ルーカリーの構成が引っ張られてくる(三段論法自体はラスキン自身が既に述べたもの)。

つまり外殻の石工に挿入された内部の鉄とガラスの部分という構成。またピーター・ブルックスはリチャードソン風のロマネスクを望んでいたが、エジプト/ムーア風のモチーフが見られること。外殻のアーチはリチャードソニアンと言えなくもない。またエジプト/ムーア風のモチーフの採用にあっては、オーウェン・ジョーンズの『装飾の文法』からの影響があるなど。

ただ、ディテールの分析はいささか弱いと感じる。また今だったらベンヤミンの「集団的無意識」や「パサージュ」を持ち出して論じるのだろう。個人的には後者は大きな眼目ではないが。

ザ・モナドノックについて。

この敷地はブルックスブラザースのシカゴでの代理人、オーウェン・アルディスによってまず購入され、しばらく放置されていたこと。放置された理由はビジネス・ディストリクトから少し離れていたこと。そのあいだに道路拡幅が決定され、敷地面積が当初の68%に縮小されたこと。ブルックスにとって、これは階を増やしてより高くすべき方向へとプロジェクトを向かわせたこと。そしてブルックスの変わらぬ信条、つまりシカゴは第一都市ではなく、第二都市であること、よってこの物件は言い換えるなら収益性を追求すること、となる。この建物の工事中、ブルックスは一度も現地を訪れなかったこと。

ブルックスはまた上記のことに鑑み、外壁において装飾および突起物を排除することを書簡において述べていること、そしてこれはアルディスの見解とは異なったこと。

ディベロッパー内部における意見の相違がここから見てとれる。また竣工後、1892年は「少しも美しくも華やかでない」、1893年には「ビジネスそのものの純粋表現」、1894年には「単調だが威厳と力の大胆な表現」と評価が変わっていったことが跡付けられる。ルイス・マンフォードが『褐色の時代』で引いたモンゴメリー・スカイラーによる「物そのもの」という有名な評価は『AR』1895年12月号、とある。

ジャクソン通り側の細長い立面はエジプトのパピルスを彷彿させるが、ザ・ルーカリーの「ムーア」ともども「エジプト」がここでの一つの主題だったからという。ジョン・エーデルマンもそうだったがエジプト風はこの時代の流行だったのであろう。ただし単に流行だったのではなく、地盤が悪く低湿地だったシカゴに低地エジプトを似た条件のものとして重ね合わせており、そしてそうした理由としてジョン・ルートが翻訳に関わったゴットフリート・ゼンパーの影響が言われる。「ゼンパーは建築を環境の、条件の生き生きした表現であると考えていた」(176頁)。

ところで歴史的に見ればシカゴの不動産開発と、パリのオスマナイゼーションはほぼ同じ時代に進行している。オスマナイゼーションは帝政下において行われ、それゆえその建築言語はボザールあるいはマンフォードの言葉で述べれば「帝国のファサード」であった。新しい建築言語はむしろシカゴにおける不動産開発から登場したのだった。これが一点目に示唆的である。またアルディスはザ・モナドノックの工期の遅れについてバーナム+ルートを叱責している。

のちにヨーロッパのモダニストがレッテルを貼って売り出すことことになるこれら建築言語、しかし一方で、ルートは、ジョン・ラスキン、ヴィオレ・ル=デュク、オーウェン・ジョーンズ、それにゴットフリート・ゼンパーといったヨーロッパの理論書をよく読み、またそれをデザインの指針にしようとしたふしがある。これが二点目。

そしてもう一点、本書の後ろの方にはシカゴ・コロンビア博について短い一章が割かれているが、この時点ではジョン・ルートは既に他界しており、後任はジョン・アトキンであった。

いわば芸術家肌のジョン・ルートとビジネス向きあるいは事務所経営に長けたダニエル・バーナムの組み合わせ。1890年代に建築設計事務所のあり方が、サリバンによれば変わっていった。そして、実際変わっていったと言える。それは20世紀におけるあり方を決定づけるほどのものであったと言えるのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »