Carol Willis, Form Follows Finance, Skyscraper and Skylines in New York and Chicago, 1995
全体は序章、第一章・資本主義のバナキュラー、第二章・純投資の3章と後書からなる。
序章ではジェイン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』、レム・コールハーズの『錯乱のニューヨーク』に霊感を得たと述べられている。序章と第一章にざっと目を通す。ジョアナ・マーウッド=サルスブリーの『シカゴ、1900』後ということもあるかもしれないが、印象としてはスカイスクレーパー・オタクによるカタログを見ている感じがしなくもない。
サルスブリーの著ではシカゴに焦点があてられ、1900年が一つのエンディングになっていた。一方、バーナムのフラットアイアン・ビルがマンハッタンに竣工するのが1903年、キャス・ギルバートのウールワース・ビルが竣工するのが1913年、つまりニューヨークはシカゴが終わってよやく始まったという感じである。シカゴではパリを模して絶対高さ制限が導入されたことで一つの時代が終わったとされたが、マンハッタンでは1916年にゾーニング法が導入されるまで野放し状態だったという。ゾーニング法ではセットバック角度の相違による3つのテンプレートが用意され、これは絶対高さではなく天空率の考えに基づくものだったと言える。
いずれにせよ、シカゴ終了後にマンハッタンは本格的なスカイスクレーパーの時代を迎えたわけであり、シカゴを動かした中小資本ではなく大資本がその担い手であったと仮定して、そこまで踏み込んだ考察はしかし、なされていない。
古典的建築家は高層ビルや商業ビルは建築たり得ないと軽蔑していたとされ、これはサリバンもある程度共有したものだったと序章では述べられている。
シカゴ派の歴史として1900年頃が一つの終わりだったとして、そのシカゴ派の後を襲ったフランク・ロイド・ライトが本格的な活動を始めるのが実はその1900年前後・後である。サリバンや古典的建築家が持っていたとされる(しかしこれも、もう少し踏み込んだ考察が必要である、少なくともそう断定できるものではないように思う)スカイスクレーパーへの軽蔑を共有していたのかどうか、その仕事のほとんどは住宅などの小建築やリノベーション等である。木造や鉄筋コンクリートという高層建築には不向きな構造への傾倒もあったかもしれない。
さてと。
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