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2013年11月

2013年11月30日 (土)

Nikolaus Pevsner, An Outline of European Architecture, Penguin Books, London, first published in 1943

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ニコラウス・ペヴスナーの古典である。日本語版はない。初版1943年は、ギーディオンの『空間・時間・建築』初版の2年後である。「第8章、ロマン主義運動、歴史主義、近代運動の始まり、1760-1914」を読む。18世紀後半から20式初頭までが一つの時代として一章にまとめられている。

 全体はまず18世紀後半英国の反・ロココとしてのロマン主意運動に始まり、これに続くドイツのロマン主義が一瞥される。

ロココが最も盛んであったフランスにロマン主義が輸入されると、それだけかえって反・ロココ的な動きとなったという。サポーティング・ポイントはジャック=ジェルマン・スフローのサント・ジュヌヴィエーヴ。スフローのあとにくるのがルドゥーらの「本人は大革命には否定的であったが」革命の建築家と呼ばれることになる建築家たちである。イギリスとドイツにおけるその並走者はジョン・ソーンとフリードリヒ・ギリーとされる。

このあたりで既に反・ロココ/反・軽薄な18世紀は決定的となり、ゴシックとクラシックが単なる様式ではない大様式あるいは概念へと成長してくる。19世紀新古典主義や第二帝政様式への伏線の一つである。19世紀を特徴付けるのはしかしそれだけでも、エクレクティシズムだけでもない。建築的にはまったく不毛で空しく醜悪で最低最悪だったもの、その時代を経験してこそ次の新しい建築が登場してきたもの、とも言えるであろうか(このあたりの時代評価はルイス・マンフォードの『褐色の三十年』における1840年代前後への時代評価とも共通している)。実証主義の台頭もそれに関連している。

また新古典主義においてアメリカ合衆国が初めて西洋建築史に登場してくる。グリーク・リヴァイヴァルは合衆国においてこそ、なのであろう。

19世紀後半、再びアメリカ合衆国の建築が西洋建築史に台頭する。今度はヘンリー・ホブソン・リチャードソンがその始まりである。リチャードソニアン・ロマネスクが単なる様式ではなかったこと、少なくとも本章で述べられるロココなどの様式でも、エクレクティシズムで言われる様式ではなかったことはここでも強調されている。

 メモ

「ロマン主義運動はイギリス起源である」「文学ではロマン主義とは理性に対する感情の、造作に対する自然の、溢れる見栄に対する簡素の、懐疑に対する信心の反動のことである。ロマン主義・詩は自然や自己犠牲への熱狂を表現した。それに遠い文明や過去の文明の基本的で充溢した生活への崇敬をも表現した。この崇敬は高貴な野蛮人や高貴な古代ギリシャ、卓越した古代ローマ、敬虔な中世の騎士の発見へといたったものである。その対象が何であれ、ロマン主義的態度とは、ロココの軽薄さや合理主義の想像力のなさ、それに産業主義や商業主義の醜悪に満ちた現在に反発し、遠くを憧憬することである」(350頁)。

 「既に述べたようにヴァンブラは二つの議論を用いている。連想(観念連合)とピクチャレスクである。これらはともに18世紀の理論家によって展開されたものである。建物はそれにあった様式をまとう。よく考えてどの様式が立ち現れるかが決められるからである。そして建物は周囲の自然との関わりで構想される。ヴァーチュオーゾはグランドツアーで古代ローマ建築の遺跡のなかに、クロード・ロランやプッサンやデュエやサルヴァトール・ローザの英雄的で牧歌的風景におけるピクチャレスク性と真実を見出したからである」(352頁)。

「ゴシック様式はロココ様式とかシナ様式とかヒンドゥ様式等と同じ範疇にはもはやない。それは純正で誠実で基本的な全てのものを表しているのであり、事実、ヴィンケルマン、それにその少しあとにゲーテが古代ギリシャ芸術に見たと称したものと同じものを表しているのである。ギリシャとゴシックはともに真面目な美学者と芸術家の心では18世紀の軽薄さからの救済だったのである」(360頁)。

サント・ジュヌヴィエーヴに関して、「こうした教会、あるいはもっと小さな教会においてもドームは耐力壁や付柱に載っていたが、スフローはここでは独立柱やエンタブレチュアに可能な限り載せる方法を選んだ。ドーム真下の隅部を除いて回廊は独立柱しかない」「これがスフローが意図した軽さの感覚を引き出している。厳格な幾何学と記念的ローマのディテールとこの軽さの結合が、スフロー独特である」(364頁)。

「英国のゴシック・リヴァイヴァルは議論が多かったがフランスでは構造的なものとしてあった」「スフローはゴシック建築について1741年という早い時期から講義している」「スフローの(古代ギリシャ建築)評価はただの模倣にあったのではない」(366頁)。

1830年代までに建築に最も警戒すべき社会的・美学的状況を見出す。建築家は前・産業化時代に必要によって制作されたものは、その時代を表現するために制作されたものよりよいと信じるようになった。建築家のクライアント層は美的感性をまったく失ってしまい、美的な質以外を建物に求めるようになった。連想は理解できた。それ以外には模倣の真正性である。これはチェックさえした。様式の自由で幻想的な扱いは考古学的な厳密さへと変わっていった。これが19世紀を特徴付ける歴史的知識の道具の形成によって起こった。実際、大文字の歴史主義の世紀だったのである。18世紀の体系作りののち、19世紀は倫理とか美学を探究するより、既存哲学の比較研究や歴史的研究に向かっていったのである。神学や文献学においても同様である。同様にして建築学も美学理論を捨て、歴史研究に集中したのだった」「19世紀特有の様式の発展に、ほとんど時間も欲望もなかったのは驚くにあたらない。ソーンやギリーについてさえ、彼らの独創性とか「モダニティ」については過大評価しないように注意せねばならない」(377頁)。

「他方で19世紀の全時代、すべての国でよい例を挙げるとすると、教会は結構な数、宮殿はまれ、個人住宅はもちろんある。だが大多数は政府のものだったり、地方行政府のものだったり、のちに民間オフィス、博物館、ギャラリー、図書館、大学、学校、劇場、コンサートホール、銀行、取引所、鉄道駅、百貨店、ホテル、病院、つまりすべて礼拝とか豪奢のために建てられたのではないものばかりであり、収益や日常生活のために建てられたものである」「建築のこの新しい社会的機能は社会の新しい階層を表象している」(383頁)。

「だが成功した建築家たちはファサードの化粧に余念がなく、そのことに気づかない。ジョージ・ギルバート・スコット卿(1811-78)は高期ヴィクトリアの最も名誉ある建築家だったが、建築の大原理とは「構造体を装飾することである」と述べている。ラスキンでさえ、「装飾は建築の根本原理である」(建築講義、1853、83頁)と述べている」(383頁)。

「建築家の多くは画家と同じく心から工業の発達を憎悪していた。彼らは産業革命が既存の秩序や美の基準を破壊する一方で、新しい種類の美や秩序の機会を生み出すとは思っていなかった」「1800年までに分割が進み、建築家とエンジニアは異なる訓練を受け、異なる仕事を行うことになっていた。建築家は経験ある建築家の事務所と学校で学び、自らの事務所を開設したが、17世紀の公僕(civil-servant)建築家と異なっていまや、国家のためにではなく主に民間のクライアントのために働くようになっていた」(389頁)。

ウィリアム・モリスについて、「芸術家が職人に戻る前に、彼の信条では、芸術家としての職人(the craftsman an atrtist)が、機械による絶滅から芸術を救済し得るのであった。モリスは機械を激しく憎んでいた。機械化と労働の分割に時代の悪を帰した」(390頁)。

「同時代の建築家や芸術家の日常品デザインへの無関心と限られた目利きにのみ受けることをせっせとする傲慢を示し、かつてあった奉仕への忠誠を復活させようとしたことで、芸術は「全人のものである限りで」芸術であるという原理、たゆまぬ熱意によって、(モリスは)近代運動の創始者なのである」(391頁)。

「モリスが芸術とデザインの哲学になしたと同じことを、合衆国ではリチャードソンが、英国ではノーマン・ショウが建築美学において同時代になした」(391頁)。

このあたりの評価は、ルイス・マンフォードとほぼ同じである。というより、おそらくマンフォードから来ていると思われる。

「彼(リチャードソン)とそのフォロワーはヨーロッパの誰よりも、1880年代、郊外住宅を自由かつ大胆に設計した」(391頁)。

397-398頁にかけてシカゴの建築家が再度登場する。リチャードソン(ただし東部)以外には、ジェニー、ホラバード+ローシュ、それにルイス・サリヴァンである。ジョン・ウェルボーン・ルートについての言及はない。

サリヴァンについて、「ここにおいて完全に過去から分離した」(398頁)。

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2013年11月14日 (木)

Ernst Mandel, An Introduction to Marxist Economic Theory, 1969 Pathfinder Press, NY

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フレドリック・ジェイムソンに影響を与えたとされるアーネスト・マンデルの書である。初版は1969年。

  全体は3章からなっている。1章は価値形式論や剰余価値について、2章は資本と資本主義についてで、これらは古典的なマルクス=レーニン主義で既に言われていたものでもある。特徴的なもの、あるいはジェイムソンの後期資本主義論と関係していると思われるのは、第3章の新・資本主義ということになるだろうか。これは東西冷戦下のケインズ体制、あるいはフォーディズム・ケインズ体制について分析したもので、今日から見れば一時代前のパラダイムということになるかもしれない。

 マルクスの時代の資本主義がビクトリア朝資本主義、レーニンの時代の資本主義が独占資本主義だとして、3章で分析される新・資本主義とそれらのあいだにある大きな出来事は、ファシズムの台頭と総力戦(第二次世界大戦)ということになろう。マンデルによるその分析は明快である。ファシズムとは長いスタグネーションの過程で成立したブルジョワと労働者のあいだの余白がほとんどゼロとなった体制であり、その長いスタグネーションは市場の長期周期、つまりコンドラチェフの波から説明される。1913年から1940年頃までがスタグネーション期であり、その後1941年頃から1965年あるいは1970年頃までがその反対の拡張期とされる。

 時代を市場の周期として分析するのは別にマルクス主義者だけではない。経済紙『ウォールストリート・ジャーナル』の創立者でダウ理論の提唱者であるチャールズ・ダウなども、市場を周期的として見るものものの一人であろう。というより、市場とは周期的なものであるというのは19世紀後半には多く共有された見識だったのではないだろうか。市場を周期的と見做すなら、固有名を持った恐慌とか好景気とか戦争とか政治体制とか諸々のイデオロギーなどは、この周期のある部分に付けられた名前だったり事象だったり付帯物だったりするのかもしれない。

 いずれにせよファシズム(ナチズム)の台頭と総力戦がドイツの戦後賠償と1929年恐慌という壊滅的危機から発生したとすれば、新・資本主義はこの壊滅的危機を回避するものとしてあった、つまり反・周期的(anti-cyclic)であり、反・危機的(anti-crisis)なものとしてあったという。新・資本主義とはそれゆえ国家の介入による資本主義である。この特質はジェイムソンがフォーディズム・ケインズ体制として分析したものであり、本書で言及される計画経済はその特徴の一つであろう。ナショナル・インカムに対する財政出動の割合は第一次大戦前では4-7パーセントであったが、新資本主義(フォーディズム・ケインズ体制)では15-30パーセントに上るという。

 1970年頃しかしながら「計画の限界」が言われ、1990年頃東西冷戦が終結し、フォーディズム・ケインズ体制が一応の終わりを見たと、今日の視点からは言える。先の波動論に戻ると、グローバライゼーションと呼ばれている事象も、市場周期の在り方に固有名詞を与えてそう呼んでいると捉えることも可能なのだろう。

 人工物あるいは建造環境は、何であれ、市場周期のどこかの部分で制作される。さてと。

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2013年11月10日 (日)

Carol Willis, Form Follows Finance, Skyscraper and Skylines in New York and Chicago, 1995

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全体は序章、第一章・資本主義のバナキュラー、第二章・純投資の3章と後書からなる。

序章ではジェイン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』、レム・コールハーズの『錯乱のニューヨーク』に霊感を得たと述べられている。序章と第一章にざっと目を通す。ジョアナ・マーウッド=サルスブリーの『シカゴ、1900』後ということもあるかもしれないが、印象としてはスカイスクレーパー・オタクによるカタログを見ている感じがしなくもない。

サルスブリーの著ではシカゴに焦点があてられ、1900年が一つのエンディングになっていた。一方、バーナムのフラットアイアン・ビルがマンハッタンに竣工するのが1903年、キャス・ギルバートのウールワース・ビルが竣工するのが1913年、つまりニューヨークはシカゴが終わってよやく始まったという感じである。シカゴではパリを模して絶対高さ制限が導入されたことで一つの時代が終わったとされたが、マンハッタンでは1916年にゾーニング法が導入されるまで野放し状態だったという。ゾーニング法ではセットバック角度の相違による3つのテンプレートが用意され、これは絶対高さではなく天空率の考えに基づくものだったと言える。

いずれにせよ、シカゴ終了後にマンハッタンは本格的なスカイスクレーパーの時代を迎えたわけであり、シカゴを動かした中小資本ではなく大資本がその担い手であったと仮定して、そこまで踏み込んだ考察はしかし、なされていない。

古典的建築家は高層ビルや商業ビルは建築たり得ないと軽蔑していたとされ、これはサリバンもある程度共有したものだったと序章では述べられている。

シカゴ派の歴史として1900年頃が一つの終わりだったとして、そのシカゴ派の後を襲ったフランク・ロイド・ライトが本格的な活動を始めるのが実はその1900年前後・後である。サリバンや古典的建築家が持っていたとされる(しかしこれも、もう少し踏み込んだ考察が必要である、少なくともそう断定できるものではないように思う)スカイスクレーパーへの軽蔑を共有していたのかどうか、その仕事のほとんどは住宅などの小建築やリノベーション等である。木造や鉄筋コンクリートという高層建築には不向きな構造への傾倒もあったかもしれない。

さてと。

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2013年11月 3日 (日)

Atsushi Kitagawara Architects, Jovis GmbH, 2013

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北川原温建築都市研究所(AKA)さまよりいただきました。北川原先生のサイン入りです。有難うございます。AKAのこれまでの作品が美しい写真、図面、テキストで構成されています。

このなかで川向正人先生がお書きになった巻頭論文の和文英訳のお手伝いをさせていただきました。

川向論文は、ゲーテの形態論を用いながら、近作であるイタリアでのコマーノ・ウェルネスセンターまでのAKAの仕事を読み解いていく、重厚な論文です。論文執筆はは他にアーロン・ベツキー氏、マルコ・インペラドーリ氏、それにカテリン・ザワワイン氏。

巻末にはそのザワワイン氏による北川原温氏へのインタビューが収録されています。

そこからの引用。

「(北川原)、日本の芸術家はみな抽象化を用いますが、意味やメッセージは異なっています。先に述べたように私のメッセージはどちらかといえば、社会はこうあるべきとか鍵となる課題を示すとかいうより、個へのリスペクトや、精神的なものとなる傾向があります」。

 北川原温先生、川向正人先生、たいへん有難うございました。大事に持ち続けたいと思います。

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2013年11月 1日 (金)

Alan Colquhoun, “The Concept of Regionalism,”Postcolonial Space(s), edited by G.B.Nalbantoglu and C.T.Wong, Princeton Architectural Press, New York, 1997

Region

地域主義という概念について述べたものかというと、そうではない。前半はテンニースのゲマンインスアフト/ゲゼルシャフトやドイツ系の文化/文明というお馴染みの議論が続く。

後半は批判的地域主義について触れられる。直接言及されているのはツォニス+ルフェーブルの「批判的地域主義」概念であるが、ケネス・フランプトンの批判的地域主義概念をこれに置き換えて読むことも可能かと思われる、それもむしろ議論を補強する方向において読むことも可能かと思われる。ジャック・ヘルツォークのタボルの住宅(1985-88)、アルバロ・シザのデンハーグの集合住宅(1985-88)が具体例として挙げられている。

前者についてメモ。「合理化の適用への抵抗からは程遠く、元々の地域建築における統合の残滓がばらばらとなり断片化し、元々の文脈から引き裂かれてきたことを示唆することで、そのことを確信させる。この視点をとるなら元々の全体性における元々の内容を取り戻そうとすることはある種のキッチュに結果するであろう。地域主義や文化やゲマインシャフトへの唯一可能な態度はそれゆえアイロニーということになろう」「今日の興味深いデザインは地域的な素材や類型や形態論を参照しているというのは本当である。だがそうすることでその建築家たちはある特有の地域の本質を表現しようとしているのではなく、オリジナルで特異で文脈にあった建築的理念を生み出すための構成手続として地域的特性をモチーフとして用いているのである」「この建物を統合と読むのは不可能である。むしろ終わりないテキストなのである。ここに見出されるのは「地域主義」なのではない」「この建物を考えていると、その一つが完全に確信されるか拒否される多くの仮説のあいだを揺れ動く」(19頁)。

後者について。「これは既成都市形態を芸術文脈へと説明付ける都市価値の自発的解釈の結果である。これは地域的生活の伝統の肯定なのではない。地域の自律的文化と結びついていた建築的コードは随分前に解き放たれている。選択の問題である。地域主義や伝統主義はそれゆえモダニゼーションや合理化の裏の顔に絶えず蠢く普遍的可能性として見れるかもしれない」(20頁)。

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