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2013年12月23日 (月)

戸坂潤「空間論」『戸坂潤集』筑摩書房、1976

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パルメニデス、ピュタゴラス、デモクリトスの3者にプレ・ソクラテス期の空間論の3類型を見、ソクラテス/プラトンにおいて空間論がいったん観念論と化するも、プラトン晩年の『ティマイオス』における空間論の軌道修正を見、さらに近世におけるカントの空間自体と空間直観を批判的に検証し、そこからさらに近代にける直観空間、幾何学的空間、物理的空間を批判的に検証し(これらのなかにはハイデッガーも含まれる)、ハイデッガーと同じくDaから日常的空間/哲学的空間を抽出し、最終的に空間の問題は物質の問題の一つであると結論付ける。

メモ

「第一は、存在という範疇を初めて理論の対象とした人と見てよいパルメニデス(5世紀)である。彼によれば存在とは在るということである、「ただ存在のみがあり、無はない。」これはしかし決して単純な同語反復なのではない、彼によれば、在るということは、空間的に存在するということを意味するのである。」「ピュタゴラス(6世紀)によれば存在の原理は数である。ところがこの数なるものが・・その神秘的な諸特徴と連関して・・全く空間的な規定によって理解されているのである。例えば1とは点であり、2とは線であり、3とは平面である、等々。」「存在は空間的であっても、空間自身ではない。かくて存在と空間とが分離・対立せしめられ、その統一として、存在が空間的存在となって具体化されねばならなかった。デモクリトス(4世紀)の原子説がこれである。だが忘れてはならないのは、この場合にも依然として存在はあくまで空間的であったということである」(217-218)

「存在を物質的・・人々は今日哲学的に有効に用いられる範疇としてしてこの言葉を理解しなければならないが・・と考える代わりに、それを何か観念的なものとして規定する態度、この存在理論を我々は一般に観念論と今日呼んでいるが、この観念論的存在理論とともに、空間問題の冷遇は始まったのである。ソクラテスはそういう態度の最も露骨な先駆者であった。彼は自然哲学的根本問題・空間的存在の問題・に対して、ソフィストの名にそむかぬ不信任を投げつけた。もっともこの不信任は、プラトンの円熟した晩年の作『ティマイオス』において結局撤回され、そこでは再び空間(場所)・・アリストテレスはしかしわざわざこれを「プラトン的質料」と言い直した・・がイデアの母胎の位置に登せられたのであったが。・・空間問題の軽視は、観念論の採用とともに始まったのである。で逆に、空間問題の尊重は元来、唯物論とともに始まったのだということが判るだろう。実際、ギリシア古代哲学は、その哲学の根本態度からいって、含蓄ある意味における唯物論をばその共通の特色としていた。」「空間の問題は唯物論の浮沈とともに浮沈する。空間は唯物論的世界観ないし哲学体系に立って初めて、正常な視覚から、問題とされることができる。」「空間の問題が正しく問題となり得るのは、したがって空間の問題が意味ある解決へ導かれ得るのは、ただ唯物論立場においてのみである。」(218-219)

「空間は物の属性であり、これに並行して時間は心・・精神ないし意識・・のこれまたいわば属性(様態といってもよい)である」(220)

「だが空間自体などというものは考えられない。元来空間それ自らが本質・・物自体・・の現象形態を規定するものではないか」「カントの空間論こそ、のちに我々が批評しなければならぬ対象なのである」(222頁)。

「多くの人は空間を三つに分類する。第一は直観空間(心理学的空間ないし空間表象)、第二は幾何学的空間(数学的空間)、第三は物理的空間(物理学的空間ないし事実的空間)。この三つのものが空間のそれぞれの現象形態である」(222)

「カントは直観空間にひそかに悟性を結合して、形式的直感の概念を得たにもかかわらず、あくまで直観空間がそのまま(形式的直観として)幾何学の基礎・・幾何学的空間・・になれるかのように考えた。すべての困難はそこにあったのである。われわれによれば直観空間に数学的思惟・・これは悟性に属する・・が加わらなければ、それは幾何学的空間になれない。こうすることがカントを救う唯一の正しい道なのである。」「だがなぜカントは、直観空間と幾何学的空間を同一視しなければならなかったか。それは彼が直観空間をば、空間の絶対的な・・唯一の・・代表者と考えたからにほかならない。彼によれば、直観空間は、たとえば幾何学的空間から区別されたところの一つの空間概念ではなくて、それが唯一の空間概念なのである。直観空間は空間自体なのである。だから空間は他の何物・・たとえば客観の性質とか関係とか・・でもなくて、まさに直観ないし直観の形式でなければならなかった。空間は、であればこそ、観念性・・主観における先験性をもつものでなければならなかった。

ところがわれわれによれば、直観空間は少なくとも幾何学的空間から区別された。直観空間だけが空間なのではない。それはまだ空間そのもの、空間自体でははあり得ない。それは単に、空間というものの一部分、しかしカントの欲した通りおそらく最も直接な最初の一部分・・でしかない。それは空間なるものの、もっとも目立たしくはあるが、しかし要するに1つの、現象形態に過ぎない。この現象形態のいわば背後には、だから、カントの天才的な批判主義の発見にもかかわらず、やはり空間自体が横たわっていなければならない。直観空間とは空間自体の、観念論にとっては最も手近かな、現象形態だったのである」(230-231)

「幾何学という特殊の数学は、直観空間と論理の結合によって初めて成り立つ。直観空間は論理との結合によって自分の制限のあるもの・・3次元性や平面性を乗り越える(カントにおいては、これに反して直観空間はいかに論理と結合しても、依然として元のままの直感空間にすぎなかった)。こうやって結合したものはもはや直観空間であることはできない。それは直感空間とは異なった幾何学的空間となる」「幾何学的空間もまた、空間の一つの現象形態にすぎない」(235頁)。

「われわれが感覚の役割を消極的なものに限定している限り、カントの直観空間の外へ出られない。物理的空間などへは到底行くことができない。ところが物理的世界はわれわれの感覚に無関係に成り立っていないはずだった。だから直観空間から抜け出して、物理的空間にまで行くには、われわれは感覚の役割をもっと重く評価する立場に立ち直らなくてはならぬ」(236)

「ここに測定(測量)がある。」「ここで事物を決定するものは感覚以外の何物でもない、なぜなら物質的事物はただ感覚を介してしか認識・・実験・測定・がそれの最も確実な場合・・されないから。ところで物理的空間はこの測定を根本規定とする。すでに測定ということが空間的である」(237)

「物理的空間は、力の場(Feld)であり、物質である。というのはエーテルという概念がこの空間=物質の関係を言い表すために再び取り上げられねばならないのだ。物理的空間は物質を完全に捨象した虚空間なのではない、それは充たされた実空間(voller Raum)である。」「物質は空間の内において特殊な結節点をなす。L.・ド・ブロイやE.・シュレディンガーの最近の波動力学も、一般の波動が高次の波動にまで結節したものを物質・・物質波と考える。物質は空間に対してこのような特殊性をもっている。それにもかかわらずこれは空間的な本質をもつ。空間は空間と物質とになって自らを対立せしめる、それが物理的空間の性質なのである。」「物理的空間(ないし物理学的物質)は、最後に空間の位置現象形態にほかならない」。空間が物理学的規定の下に現れたのがそれである」(239頁)。

「人々は心理学的・幾何学的・物理学的・に空間の概念を構成する前に、あらかじめ一つの一般的な空間概念をもっていなくてはならない」「これを日常的空間と呼んでおこう。かの三つの空間が空間自体の部分的現象形態であるなら、これは空間自体の全般的現象形態である」(240)

「さて空間・・存在性・・とは、日常的概念に従えば、Da・・特有な客観性・・という性格を意味する。われわれは別に、他の概念を用いて、Da性格が意味する客観性のこの特有さを説明することはできない。それはそれ自身で自分を説明するほかに道がないほど、根本的な規定なのである。このDa=「そこ」こそが日常的空間概念の性格である。空間とは物のDa-charakterに他ならない」(243)

「空間の問題は物質の問題に帰着する。空間論は物質論に帰着するのである」「空間自体とは哲学的物質のDa性格を担当するところのモメントなのである。空間の性格であるこの性格は、実は元来物質自身の一性格であった。空間とは、この一性格だけが特に抽出された場合に他ならないのである」(246)

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コメント

勉強になりました。
自分のメモ帳にコピペさせていただきます☆

投稿: 加ッ田鳥屋 | 2013年12月24日 (火) 11時34分

いつも有難うございます。

投稿: madhut | 2013年12月24日 (火) 11時41分

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