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2014年1月28日 (火)

向井正也『モダニズムの建築』、ナカニシヤ出版、1983

Mukai

これも学生時代に読んだものの再読、かつての教科書である。

この書の肝はヴォリューム/マッス概念の明確化にやはりあると思われる。ヴォリューム概念は曖昧に使われることが少なくないが、基本的にはマッスとの相対的な概念である。ドイツ美術史学でいうラウムリッヒ/ケルパーリッヒ概念に近いものの、しかしながら絶対的な概念ではなく相対的な概念である。学生時代、この部分を読んで建築の見方(読み方)が変わった記憶がある。

そのヴォリュームの説明に際して実はルイス・マンフォードの1949年のAR誌の論文も引かれていることにあらためて目が行く。さらに意外と本書ではアメリカ建築について比較的詳しく述べられ、マリオ・マニエリ=エリアと同じくマンフォードの『スティックス・アンド・ストーンズ』中の「帝国のファサード」から敷衍している部分があることにも目が行く。いささか驚くべきことにトーマス・E・トールマッジまでが引用されている。

メモ

「アメリカはもともと社会経済的に、近代主義の発育に好都合な風土的条件をかねそなえていた。逆説的ではあるが、アメリカにおける近代主義の発展をかくも長期にわたって阻止して来たのもまた、このような条件から来るものであった。その直接の契機ともいうべき一八九三年シカゴ万博におけるシカゴ派の敗退とその運動の挫折によって来る源は、当時ようやく西部辺境地域にまで進出して来た北部の金融資本の建築的シムボルともいうべき、古典主義建築の勝利によるものであった。

それは当時、リチャードソン以来の西部における、ロマネスク様式によるアメリカの「新伝統」(ヒッチコック)に対するニューヨークの、「商業古典主義」(ギーディオン)の攻撃と解せられる。ここに、ロマネスクを通じ、ライトを通じて、ベルラーヘやオランダ、ひいてはヨーロッパの近代建築運動との密接な関連の上で、アメリカにおいてもまた一九世紀から二○世紀にかけて、ヨーロッパと並行的な発展のあとをたどるべく運命付けられていた、アメリカの近代建築運動は一つの終止符が打たれた。サリヴァンの予言のように、以後アメリカは三○年代の本格的な近代建築運動に入るまで、久しく反動的な折衷主義の支配下におかれることになろう」(111-112頁)

「こうした二つの対立した傾向をクーウェンホーヴェンはアメリカにおける「闘う二つの伝統」として次のように解している。

1、  文化的伝統(ヨーロッパから移植のもの)

2、  ヴァナキュラーな伝統(アメリカ固有の伝統)

1が何事も、ヨーロッパ的伝統に追随しようとする「文化的植民地」アメリカの劣等感に由来する前記のマイナス傾向の源であるのに対して、2は新天地に自由を求めた、初期以来の移民地のいわゆる開拓者精神に基づく、自由で独自なアメリカ土着の伝統という、プラスの面をあらわすものといえる。

 クーウェンホーヴェンはこうした二つの伝統がアメリカ建築史、ひいてはアメリカの芸術史全体をとおして芸術のあらゆる分野において発展してきたと考える」(112-113)

「金融資本家の立場はそこにはまだあらわれていない。しかしアメリカ資本主義精神の客観化過程において金融資本家的モチーフは次第にその比重を高め、次第に産業資本家的モチーフを圧倒し、今世紀に入ってからはほぼ完全にアメリカ経済全体の基調となってしまった。

アメリカにおける近代建築運動たるシカゴ派を衰退にみちびいた社会経済的背景は以上のようなものであった。マンフォードは当時の金融資本家とそのシムボルとしての建築の状況を「帝国的ファサード」なる題目の下に、キリスト死後1-2世紀ごろのローマ帝国の建築にたとえ、こうした時代の主調としての古典主義(ギーディオンの「商業古典主義」)が、アメリカ資本主義の一九世紀末での変化としての、企業の集中や合同がはじまるかはじまらぬ先に、すでにウォール街のシムボルとして、建築面に固有の形式をとるにいたったとのべ、その背景としての金融資本の制覇を次のように建築と関連付ている」(115)

「たとえばジェームズ・フィッチは、「その合流によって、近代建築として知られる理論と実践の体系を形成した幅広い三つの傾向として」、

1、  単純化、能率、経済を要求するアメリカ人固有の常識

2、  リチャードソン、サリヴァン、ライトなど一連のシカゴ派の作品

3、  ヨーロッパから移植せられたいわゆる「国際様式」の合理主義

の三つをあげ、これらの源流が合流して本質的に一つの運動にとけこんだとしている。

その当否はしばらくおくとしても、現在最大の資本主義国アメリカにおいて、はじめて本来の意味での「大資本主義様式」を確立したと見られる点からしても、この運動はまさしく「アメリカの近代主義」と呼ぶことができよう」(121-122頁)。

「ともあれ、サリヴァンはもとより、シカゴ派の運動そのものが、リチャードソンからジョン・ルートを経てサリヴァンへの、一貫してロマネスク復興運動としてとらえられる一面を持っていた事実も見逃せない。トールマッジはシカゴ派の運動を、こうした「ヨーロッパにまったく類例を見ない」西部における運動として、これを東部、ニューヨークを中心とする古典主義(折衷主義)との様式上での対立において考察し、サリヴァンはどこまでもロマネスク様式によるアメリカ様式の創造に希望を抱いていたのだと述べている」(124)

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