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2014年1月24日 (金)

Manfredo Tafuri, “The Disenchanted Mountain:The Skyscraper and the City,” The American City, From the Civil War to the New Deal, The MIT Press, 1979

Disenchanted

 引き続きThe American Cityから、マンフレッド・タフーリによる最終章。

まず全体の構成としてエピグラフにジョン・ドス・パソスの小説『USA』に登場するキャス・ギルバートのウールワースビルの記述を、掉尾にハーマン・メルヴィルの『白鯨』を示唆する言葉を、なおかつ二つとも同じような修辞で、つまり「時代の先端」でありながら既に時代からずれ始めており、かつ他者を示唆するものとして配しているところは、それこそ痺れるほどかっこいいと言うべきだろうか。T.J.クラークにせよ、マンフレッド・タフーリにせよ、その論文は単に論理を構築してくだけでなく、いい意味で「文学」であるところが時々あるように思う。さらに章題である“The Disenchanted Mountain”は実質的にはロックフェラー・センターを指していると言えるが、章全体をいわば山型に構成し最後に再び転倒させてみせるところなどは、若きタフーリ冴えているな、とも思う。付言すれば。Disenchantedにはアドルフ・ロース風のという含みがあるようにも。

全体の構成はシカゴ・トリビューン・コンペからニューディール期の地域主義への一瞥を経て、ロックフェラー・センターの建設から戦後1970年代のジョン・ハンコック・センターやワールド・トレード・センターなどのスカイスクレーパーまでを、自由放任経済の終焉からanti-cyclicな資本主義(この語用はアーネスト・マンデルを彷彿させる)を背景に述べていく。こうした記述は実は資本主義と近代都市の変貌と、そして都市建築の変遷の根幹に触れるものであるとも述べ得るかもしれない。またシカゴ・トリビューンからロックフェラー・センターへという経緯はコールハーズの『錯乱のニューヨーク』とも同じであるが、コールハーズの書ではいまひとつ不明瞭であった部分も実に鮮やかに述べられているとも、言い得るかもしれない。ついでながら、この二つのプロジェクトに関わったレイモンド・フッドの立ち位置も、本書では明確化されている。フッド自身が意識していたとされるように、フランク・ロイド・ライトやルイス・マンフォードらとは対極に位置する。

全体の大雑把な論の展開を確認する。

自由放任経済時代にグリッド上の自律したオブジェとしてあったスカイスクレーパーが20世紀初頭には資本主義と都市の変容のなかで既に時代遅れなものとなりつつあり、シカゴ・トリビューン・コンペは、文字通りシカゴ・トリビューン社という企業の(都市から自律した)オブジェとして計画された、まさにその最後のものであったことが確認される。

ただし、1920年代に企画されたこのコンペにはアヴァンギャルドを含むヨーロッパからの建築家も、多数応募したことはよく知られている。そして、アヴァンギャルドを含むヨーロッパの建築家とアメリカの建築家の相違はそのデザインにあるのではなく、スカイスクレーパーの扱い方そのものにあったことことが述べられる。アメリカの建築家が相変わらずスカイスクレーパーを先述した自律的なオブジェとして扱っていたのに対し、ヨーロッパの建築家はアヴァンギャルドからエリエル・サーリネンのような建築家まで、都市を組織するエレメントとして見ていたのだという。ル・コルビュジエの『300万人の現代都市』計画はこのコンペとほぼ同時代のものであるが、そこではスカイスクレーパーはまさに都市を組織するエレメントとしてあった。ヨーロッパにおいては実質的にスカイスクレーパーはまだ一棟も建っていなかったにもかかわらず、この概念上の深化は、やはり瞠目に値するかもしれない。このコンペに応募したエリエル・サーリネンもアドルフ・ロースも、ルイス・ヘンリー・サリヴァンへのオマージュを述べている。しかしそのサリヴァンをしてさえ、アメリカの建築家はスカイスクレーパーをまだ単なる自律したオブジェとして捉えていたということになるのであろう。

サーリネンはさらにシカゴの再開発計画にも携わっており、そこで今度はシティー・ビューティフルをも称揚しているが、しかしながらここでもアメリカの建築家とサーリネンの都市の組織化への考えの相違が際立たされている。

大恐慌と続くanti-cyclic経済を背景とし、都市計画から地域計画へと組織と管理の問題が拡大して行く過程で、フランクリン・D・ローズヴェルトに近かったアメリカ地域計画協会およびセイジ財団とルイス・マンフォードらの応酬についても触れられている。双方の論点をまとめると、アメリカ地域計画協会やセイジ財団がスラム・クリアランスの必要を唱えたのに対し、マンフォードらはそもそもスラムを生み出しているシステム自体に手を付けるべきだと主張したという。実際には博愛主義的観点からローワー・マンハッタンをはじめとしてアメリカ地域計画協会の案が実行されていくのであるが、趨勢という点ではいずれにせよ、都市の組織や管理の問題が、住宅問題とエネルギー資源の問題へと集約されていったと言える。

さてロックフェラーセンターである。複合巨大施設としてのこの施設は、既に自由放任経済時代の自律したオブジェとは異なった次元にあろう。面白いことにというか、やはりというか、オペラハウスではなくミュージックホールその他を擁したこの施設はオルテガ・イ・ガゼットからも批判されたといい、おそらくホルクハイマー+アドルノの文化産業批判でも念頭に置かれたものの一つだったのではなかろうか。

ロックフェラー・センターは数ブロックにまたがる巨大複合施設だったが、1970年代のジョン・ハンコック・センターは一つのビッグボックスのなかに執務空間から居住空間、その他付帯空間までを一括したモノリスとなる。いわば都市を内包した、しかしそれ自身都市のなかにある、反・都市的な存在である。

1979年出版となっている本論文は、都市とスカイスクレーパーの変容をここで終えている。都市そのものがサバーバンネーションや中心空洞化していく現象は、この時代、まだあまり議論されていなかったのかもしれない。

いずれにせよ、ハードルとなる論文の一つである。

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