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2014年5月

2014年5月26日 (月)

村田一也+白井秀和、「ル・コルビュジエの『建築をめざして』における量的概念の展開について、「ヴォリューム」から「量産住宅」へ、福井大学工学部研究報告、2001

Murata


かの有名なくだりは原語(仏語)では、L`architecture est le jeu savant, correct et magnifique des volumes assembles sous la lumiere. また仏語のヴォリュームは「第一に、「体積、容量、かさ」の意味を有し、「総量、量;音量」、「本、巻、冊」の意味を持つ。「基語である-volu-;「転がす、進展させる、変える」の意味からすると、この語には、巻物に由来する「(本の)巻」の意味があり、ここから体積の謂いとなる」。また数学においては、「体積、立体」の意味で使われ、先の意味と一致し、さらに美術の分野では、「立体感、量感;立体、量塊」のように感覚との関連性が示唆される。またこの語は「(居住空間などの)天井の高さとのかねあい」といわれるように、その意味は、幾分、曖昧な意味をも含んでいるのである(ラルース仏和辞典、小学館、2546頁)」(72)

いずれにせよ、三つの覚書の3項目は原語(仏語)では、Le volume, Le surface, Le plan で、これが英語版では、それぞれ Mass, Surface, Plan となる。ヴォリューム概念はここでは意を汲んでマスとして訳される。ついでに、要旨としては、(表)面がヴォリュームを規定し、プランがこれらを決定し、かつ生ぜしめる」ということになる。「プランはヴォリュームと面の上位概念として捉えられ」(74)るということになる。これらの項目をを統御するのが指標線(トラセ・レギュラトゥール)である。


メモ

「ここで「ひとつのヴォリューム(un volume)」とそれを「包む(envelopper)」、「ひとつの面(une surface)」との関係に注目すると、ヴォリュームは不定型なものであることが推察される」「「ひとつのプランは内から外へ生じる(un plan procede du dedans au dehors)」と見出しを附け、建造物をシャボン玉に例えているのである」「このようなことから、ル・コルビュジエによるヴォリュームは、面で限定された不定形で抽象的な量であると捉えられるであろう」「そしてそのようなヴォリュームに形態が与えられるのである。そのとき、ヴォリュームに与えられる形態は、原初的なつまり単純な幾何学的形態なのであり、それは美しい形態であるために美の理念と関連している。つまり、それらの形態が美しいがゆえに、ル・コルビュジエは、ヴォリュームにそのような形態を与えるのである」(73頁)。

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2014年5月25日 (日)

ル・コルビュジエ『建築をめざして』吉阪隆正訳、鹿島出版会、1967

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精読を含めて何度か読んだ書から、ヴォリュームについての記述を確認する。

『建築をめざして』中のヴォリュームに関しての記述は、アメリカの産業建築について述べたよく知られた個所に続いて登場する。ヒッチコックとジョンソンがおそらくシカゴ構法を念頭に置きながら、耐力壁からカーテンウォールへ、マスからヴォリュームへという過程を鮮やかに描いたとするなら(この議論は勿論、その後ルイス・マンフォードや向井正也らによって精密化される)、ル・コルビュジエの記述はマスとヴォリュームが未分化であるようにも見える。また佐々木宏が指摘するように、ル・コルビュジエのヴォリューム概念がパブロ・ピカソらのキュビスムにおけるキューブ概念に対するピュリスムの概念であったとするなら、つまり反キューブという含みがあるとするなら、日本語訳は「立体」とせずにそのまま「ヴォリューム」とした方がいいようにも思われる。

建築家各位への覚書2、「面」では「一つの立体(ヴォリューム)は面によって蔽われている。その面は、立体を構成し導き出した力によって分割され、その立体の独自性を明らかにする」(41)として、ヴォリュームと面の基本的関係が述べられたあと、さらに第二の覚書「面」と題した節では、面に対するヴォリュームの優位が述べられていく。

その「面」の冒頭部分は実は英語版では、“Architecture is the masterly, correct, and magnificent play of masses brought together in light”という有名なくだりの部分である。(おそらくフランス語の)ヴォリュームが、つまりマスという言葉に訳されている。実際、前後の文脈からすると、(ヒッチコック/ジョンソン/マンフォード/向井的には)ここはヴォリュームではなくマスということになろう。

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2014年5月13日 (火)

アンリ・ルフェーヴル、『空間と政治』、今井成美訳、晶文社、1975

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学生時代に読んだはずのもの、1234、および6章を読み返す。

各章にそって、建築と空間、都市計画と空間、都市化時代と空間について述べられていくとでも言い直され得る。

6章はMoMA(本書の言葉では「ロックフェラー財団の取り巻きの知識人グループ」)によって1971年に開催された「ポストテクノロジー」という展覧会およびそれに付随する企画について述べたものである。

この企画は、エミリオ・アンバースやクリストファー・アレクサンダーらによってリードされ、ローマン・ヤコブソン、オクタヴィオ・パス、ミシェル・フーコー、ウンベルト・エーコ、ロラン・バルト、ジャン・ボードリヤール、マニュエル・カステル、アンリ・ルフェーヴル・・・といった当時の錚々たる顔ぶれが含まれていた。1932年の『近代建築』展以降、あらためてMoMA/ロックフェラーが20世紀の建築、あるいはモダンアートのアジェンダセッターとして機能してきたことが窺える。

 

メモ

 

「建築とはいったい何であろうか?」「建築は、現在の社会(生産様式)を支えると同時にそれによって支えられている・・この関係は区別しておかねばならない・・実践の総体のなかに、他の実践(たとえば医学)とともに現れるひとつの社会的実践としてしか考えることができない。医学はたくさんの、おそらくはすべての科学の援助を必要とし、さまざまな技術を使用する。したがって医学は特殊化され、専門化されたひとつの科学を構成することができない。というのも、物理学、生物学、生理学、数学、それに記号学や社会学からさまざまな知識を借りているからである」「同じことが建築と建築家にもいえる。明らかに建築的実践のはじまりは資本主義以前にさかのぼる。したがってそれはその当時の(多かれ少なかれ)英明な専制君主の命令にしたがっていた(都市計画もそうだったが、それは建築と区別されていなかった)。芸術家であると同時に知識人でもある建築家は、権威的な所与・・宗教的・政治的な大建築物の重要性やモニュメント性、《住むこと》に対するその優位性・・を受け入れていた。工業期とともに、建築は不当にもこれら宗教的・政治的な拘束から解き放たれ、イデオロギー的に、機能のイデオロギー、それも貧しい機能のそれに、すなわち同質的構造の、冷ややかな形式のイデオロギーに堕しているのである。そして工業期の諸革命を経たこんにち、建築はなかなか都市期に近づくことができないでいる。建築家もまた、数学、情報工学、物理学、化学、経済学、さらには記号学や心理学、社会学などあらゆる科学の助けを必要としている。医者と同じように、彼は百科全書的な知識を活用しているのだが、その実践はあらゆる方向から限定され制限されているのだ」「建築は、絵画、芸術、諸美術が媒介を経て間接的にしか社会的実践と結びついていないという点で、それらとは異なっている。だが、建築と建築家は、社会的行為としての住むことや、実践としての建設と直接的な関係をもっているのである」「だからこそ、デッサン(そこからデザインをも理解する必要がある)は、単なる器用さ、テクニックではないのである。それは表現(再現)の様式、すなわち規定されコード化された術策(savoir-faire/-行)である。つまりそれは《現実》のしかじかの部分を排除し、テクストの空隙を自己流に満たすことによって、内容についての選択を行うひとつのフィルターに他ならない」(17-21)

 

「多くの研究は、不動産を拡大増長させることによって、巨人症にかかって混乱をきたしている(ソレリ、ロッシなど)。今日有名な建築家の大半は、モニュメント性と縁を切ったわけではない。彼らはモニュメントと「通常の」建築物batimentとの和解をはかっているのである。逆にある者たちは、社会的空間を居住という不安定なユニットやアトム、流れに分散させる。両者の間のレベルには自ら考え、自ら計画を立てうるものが位置を占める。これはコンスタンやリカルド・ボフィールの調査やスペインのマリオ・カヴィリアの研究をみれば分かることだ。下位レベル、それは村落や街区のレベルである。《マクロ》のレベルとは都市的なるもののレベルに他ならない」(26-27)

 

「だが空間の科学は何年もの間、いたずらな研究を重ねている。つまり空間の科学などは存在していないのである。それは空間のなかにあるもの(オブジェ、事物)や抽象的な空間(オブジェのない、幾何学的な空間)についてのとりとめもない考察に拡散したり、そのなかに埋没しているのである。こうした研究はせいぜいのところ、多かれ少なかれ事物で満たされた空間の断片を記述するにすぎない」(29)

 

「問題は空間のプロブレマティックなのだ。しかし、だからといって《空間とは何か?》と問うわけではない。このような質問は数学者か形而上学者にたずねてみるほうがよいであろう。このテーマを誤解しないで頂きたい。社会的な実践と結びついた生きられた空間から出発することが問題なのである。生きられた空間から出発して展示されるプロブレマティックは、《空間性》という共通の特徴をもった部分的な諸問題の総体を含みこんでいる」(37)

 

「もう一度いおう、最大の危険にして最大の反対立論は、歴史的であると同時に生きられている時間を排除することにむけられているのである」(41)

 

「空間一般および特殊な都市空間を生産と結びつけることは、労働力を含む生産手段が再生産されるということを意味するにすぎない。ところで、この仮説は19世紀の資本主義に、すなわち生産手段(機械と労働力)を物質的に再生産し、製品の消費すなわち市場での購買を可能にすることを第一の課題とした競争的資本主義に適している。当時、労働力の売り渡しとともにこの生産手段の再生産を保証するには、契約制度(労働契約)と司法制度(民法や刑法)があれば十分であった。明らかなことだが、こうした条件のもとでは、空間はたんに機能的で道具的であるにすぎなかった。伝統的な都市は、とりわけ生産と相補的な関係にあるこの消費という機能をもっていた。しかし、状況はかわったのだ。資本主義的な生産様式は以前よりもはるかに広汎で、はるかに多様で、はるかに複雑な事態、すなわち生産関係の再・生産にたいして身を守らなければならなくなっている。この生産関係の再・生産は、もはや生産手段の再生産と同じではない。それは日常性、レジャー、文化を通して、学校や大学を通して、かつての都市の拡張と繁殖を通して、つまり空間全体を通して行われているのである」(45-46頁)。

 

「命題・・空間は、内在的で固有の論理をもたないがゆえに、われわれを形式論理一般や一般方法論へと送り返す」(55-56)

 

「したがって、いかに偽装させ隠そうとも、空間の諸矛盾が存在する。この社会のなかでは《現実》は結果であって出発点ではないのである。その意味で、いわば統合化の総過程としての現実は、統合されるがままになっているものを含み込んでいる。それは想像界も含め、還元されるがままになっているものを含みこんでいるのである。この社会はひとつの論理にしたがうものではない。繰り返していえば、それは自分が論理になろうとしているのだ。それはシステムではない。だが表象の拘束とその使用を再結合させることによって、みずから体系になろうと努力しているのである」「実際、資本主義社会の空間は合理的であろうと望んではいるのだが、実践面においては商業化され、細分化され、断片で売られるのである。このように、空間は全体的ではあるが断片化されているのだ。それは論理的にみえるが、不条理に切取られている。こうした諸矛盾は制度的な地平で炸裂する。この地平では支配階級であるブルジョアジーが空間に対して二重の権力をほしいままにしているのがわかる。すなわち、まずはじめは土地の私的所有・・集団や国家の権利から除外されていた空間全体にまで一般化されつつある・・によって。ついて全体性によって、つまり認識、戦略、国家自身の行動によって、ブルジョアジーは空間を支配しているのである。このふたつのアスペクト、とりわけ(想定された、あるいは概念的な、全体的で戦略的な)抽象空間と、知覚され、生きられ、断片化され、売られている直接的な空間とのあいだには、避けがたい葛藤がある」(56-57)

 

「都市計画と名づけられた統一的な行為がある。それは経験的であるときもあるが、あるひとつの科学の(人口統計学、経済学、地理学、等々)結果ないしは概念を応用したり、学際的な与件や結果を考慮に入れる時もある。だが都市計画はこれらの手続きをとおして、すでに造られた科学、たとえば経済学のように、科学的で技術的な実践へと近づくのである」(58)

 

「歴史的には些細なことだが、きわめて重要なことを忘れないようにしよう。建物のあるなしにかかわらず、土地所有の起源は封建制にある。起こったことをよく理解するために、次のことを思いおこす必要がある。領土としてであれ、不動産としてであれ、土地所有者は、はじめは産業資本家とはちがう人物であった。動産的資本と不動産的資本は同じものではない。両方を同じ方法で管理することはできないのである。ふたつの世界大戦のあいだ、地代のモラトリアムが行われ、土地所有者を少なからず困らせたことがそのしるし、その証拠である。だが私の信ずるところによれば、産業資本の配当金のモラトリアムがあったとは一度も耳にしたことがないのである。土地不動産という富の動産化は、ここ数年来の金融資本のいちじるしい拡張として理解されるべきであろう。建築が、工業的なまたは銀行や金融の回路にくみこまれたことは、ここ十年来のその戦略的目標だったのである。それは、このような社会においては、まったく論理的で、まったく首尾一貫した出来事なのである。より正確にいえば、次のようになろう。すなわち、この不動産の回路は、長いあいだ、従属的で補足的なものであったが、徐々に対等となり。生産-消費という「通常の回路」にくみこまれていったのである。いまやそれは主要な部門となることさえできるのだ」「日本のような国では、《生産-消費》の通常の回路の諸困難を埋め合わせ、さらなる利益を得るとめになされる不動産部門への依存は、まったく日常的で予想可能でさえあり、ほとんど計画的に行われているのである」(72-73)

 

「ひじょうによくわかることだが、農業では、ほとんど社会主義的ともいえる性格をもった再集合の方法がある。一方不動産においては逆に、民間資本主義が優位に立つのである」(73)

 

「この用語上のあいまいさを明らかにしたうえで、歴史的な時代を農業期、工業期、都市期の三つにわける時代区分を提唱することができよう。農業期と工業期にも諸都市はあった。しかし都市期が始まりつつある。それはまだ始まったばかりである。この時代区分は絶対的ではないことを、もう一度繰り返しておこう。歴史的時代をはっきり区別し得るいくつかの時代へと切り取ることは、すべて相対的なことなのである。日常的となった隠喩を使っていうと。《都市的なるもの》とは、構成しつつ発見され、探求される大陸なのである」(82-83)

 

「こうして、都市的なるものl`urbainという新しい概念が形成される。これはぜひとも都市la villeと区別しなくてはならない」(86)

 

 

 

 

 

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2014年5月 5日 (月)

Rayner Banham, A Concrete Atlantis, U.S. Industrial Building and European Modern Architecture, The MIT Press, Cambridge, Massachusetts, 1989,

Concreteatlantis

 

これもかつて読んだものから序章および、第三章・アメリカニズムとモダニズム中のヴァルター・グロピウスに関連する部分を再確認。

 

ファグスヴェルケ読解部分は、まず規範的に語られるこの建物におけるグロピウスの役割が、ほとんどファサード・デザイン、それも一部のデザインにほぼ限られていたこと、いわばスタイリスト的な役割であったこと、モダニストの主題、つまり平面計画から内的必然として導かれる立面などではなく、既にプランニングを終えていたヴェルナ-という地元建築家の案に、「ファッショナブル」で「アメリカ的」な装いを与えるために、グロピウスにお鉢がまわってきたこと、なおかつグロピウスもそれを了解したうえでのデザインであったこと、そしてそれが可能となったのは、この工場のオーナーであったカール・バンシャイト父子がアメリカ的ビジネスへの傾倒者であり、アメリカへ工場とビジネスの視察に出かけ、米国のユナイテッド・シュー・マシナリー社からファイナンスの支援を受けたうえでの工場建設であったこと、この建物が計画され、建設された1910年頃、つまり第一次大戦前にはすでにヨーロッパではアメリカは「工業の母国」として認識され、ヨーロッパの建築家たちはその視線で米国をいわばモダニズムの母国のように注目していたこと、そしてファグスヴェルケ計画が始まったとき、グロピウスはまだペーター・ベーレンス事務所の所員であり、それゆえレオナルド・べネヴォロらによって、この建物のいわば非・モダニスト的デザインの部分はベーレンスのモチーフから来ているのであり、過渡的なものであると解釈されてきたこと、つまりいわばヴェルクブントの流れを汲むデザインと見做されてきたこと、そしてしかしながら、にもかかわらず、バンハムが評価するのはむしろ規範的に見せられる立面の位置であり、さらにはアメリカのビルダーが単純化して建設するところを、グロピウスがあえて手間のかかることを分かっていながらデザインしていること、たとえば、壁柱を上方に行くほどほとんど気づかないほどスラントさせているのはベーレンス的な手法でありつつ、荷重から考えると合理的であり(しかし手間を考えるとコストアップの要因となり、それゆえアメリカのビルダーならやらないだろう、考えもしないだろう)、その結果、ガラスの建具が下部で約10センチ、上部では約20センチ壁柱からデタッチすることととなり、これがこのカーテンウォールにきわめてヴォリューム的な性格を与えることに成功しており、さらには力学的に見れば力が集中する隅部のコーナーストーンをあえて3/4スパンずらして階段室とすること、また階段の踊り場のスラブを(当然床スラブからずれた高さにくる)を浮遊しているように見せることで、ここにおいてもこの建物をヴォリューム的に見せることに成功している点、等である。またこれとは反対にマッシヴな表現として見られるものはリーグル/ヴォ―リンガーのエジプト解釈から来ていること、ということは言い直せば遠いヘーゲルの残響と言えなくもなく、ジョン・ルートがザ・モナドノックのデザインにおいてゴットフリート・ゼンパ―のエジプトイドのデザインを用いたことと、広い意味では同根と言える。

 

実はプランニングも含めてファグスヴェルケはデッサウ・バウハウス校舎へと連なっていくのがよく分かる。『ジ・インターナショナル・スタイル』 でヴォリューム概念を前面に押し出したのは、デッサウ・バウハウス校舎の影響も大きかったのではないか。かつまた、のちにコーリン・ロウがデッサウ・バウハウス校舎をもって「字義通りの透明性」なる概念を持ち出したとき、この概念もヴォリューム概念からの派生物だったと解することも、あるいは可能かもしれない。

 

 

 

メモ

 

「唐突ながらこのことは1920年代の建築論議の基調であり、ル・コルビュジェによるヨーロッパが欲しているものの比較としてしばしばアメリカを用いることを、先取している。これはもちろん、まったくの発明というわけではない。アドルフ・ロースが世紀の変わり目にアメリカからウィーンに帰ってきてのち、その議論において一貫させたものでもある。さらにはドイツの建築家の世界(そしてある程度はそれ以外のヨーロッパの建築家の世界でも)では、1910年と1911年のフランク・ロイド・ライトのあのヴァスムートの作品集出版によって、重要な発明という点でアメリカに注目するという考えを準備してきていたのだった。グロピウスは実際、ライトの影響を明確に見せた初めてのドイツの建築家であった。1914年ケルンでの展覧会でヴェルクブントのパヴィリオンのタワーのデザインにおいて明らかであり、これの設計はグロピウスの1911年、ハーゲンのフォルクヴァンク美術館での講演、『記念的芸術と工業建築(Monumentale Kunst und Industriebau)』、より前から始まっていたのである」(202-203)

 

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