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2014年5月 5日 (月)

Rayner Banham, A Concrete Atlantis, U.S. Industrial Building and European Modern Architecture, The MIT Press, Cambridge, Massachusetts, 1989,

Concreteatlantis

 

これもかつて読んだものから序章および、第三章・アメリカニズムとモダニズム中のヴァルター・グロピウスに関連する部分を再確認。

 

ファグスヴェルケ読解部分は、まず規範的に語られるこの建物におけるグロピウスの役割が、ほとんどファサード・デザイン、それも一部のデザインにほぼ限られていたこと、いわばスタイリスト的な役割であったこと、モダニストの主題、つまり平面計画から内的必然として導かれる立面などではなく、既にプランニングを終えていたヴェルナ-という地元建築家の案に、「ファッショナブル」で「アメリカ的」な装いを与えるために、グロピウスにお鉢がまわってきたこと、なおかつグロピウスもそれを了解したうえでのデザインであったこと、そしてそれが可能となったのは、この工場のオーナーであったカール・バンシャイト父子がアメリカ的ビジネスへの傾倒者であり、アメリカへ工場とビジネスの視察に出かけ、米国のユナイテッド・シュー・マシナリー社からファイナンスの支援を受けたうえでの工場建設であったこと、この建物が計画され、建設された1910年頃、つまり第一次大戦前にはすでにヨーロッパではアメリカは「工業の母国」として認識され、ヨーロッパの建築家たちはその視線で米国をいわばモダニズムの母国のように注目していたこと、そしてファグスヴェルケ計画が始まったとき、グロピウスはまだペーター・ベーレンス事務所の所員であり、それゆえレオナルド・べネヴォロらによって、この建物のいわば非・モダニスト的デザインの部分はベーレンスのモチーフから来ているのであり、過渡的なものであると解釈されてきたこと、つまりいわばヴェルクブントの流れを汲むデザインと見做されてきたこと、そしてしかしながら、にもかかわらず、バンハムが評価するのはむしろ規範的に見せられる立面の位置であり、さらにはアメリカのビルダーが単純化して建設するところを、グロピウスがあえて手間のかかることを分かっていながらデザインしていること、たとえば、壁柱を上方に行くほどほとんど気づかないほどスラントさせているのはベーレンス的な手法でありつつ、荷重から考えると合理的であり(しかし手間を考えるとコストアップの要因となり、それゆえアメリカのビルダーならやらないだろう、考えもしないだろう)、その結果、ガラスの建具が下部で約10センチ、上部では約20センチ壁柱からデタッチすることととなり、これがこのカーテンウォールにきわめてヴォリューム的な性格を与えることに成功しており、さらには力学的に見れば力が集中する隅部のコーナーストーンをあえて3/4スパンずらして階段室とすること、また階段の踊り場のスラブを(当然床スラブからずれた高さにくる)を浮遊しているように見せることで、ここにおいてもこの建物をヴォリューム的に見せることに成功している点、等である。またこれとは反対にマッシヴな表現として見られるものはリーグル/ヴォ―リンガーのエジプト解釈から来ていること、ということは言い直せば遠いヘーゲルの残響と言えなくもなく、ジョン・ルートがザ・モナドノックのデザインにおいてゴットフリート・ゼンパ―のエジプトイドのデザインを用いたことと、広い意味では同根と言える。

 

実はプランニングも含めてファグスヴェルケはデッサウ・バウハウス校舎へと連なっていくのがよく分かる。『ジ・インターナショナル・スタイル』 でヴォリューム概念を前面に押し出したのは、デッサウ・バウハウス校舎の影響も大きかったのではないか。かつまた、のちにコーリン・ロウがデッサウ・バウハウス校舎をもって「字義通りの透明性」なる概念を持ち出したとき、この概念もヴォリューム概念からの派生物だったと解することも、あるいは可能かもしれない。

 

 

 

メモ

 

「唐突ながらこのことは1920年代の建築論議の基調であり、ル・コルビュジェによるヨーロッパが欲しているものの比較としてしばしばアメリカを用いることを、先取している。これはもちろん、まったくの発明というわけではない。アドルフ・ロースが世紀の変わり目にアメリカからウィーンに帰ってきてのち、その議論において一貫させたものでもある。さらにはドイツの建築家の世界(そしてある程度はそれ以外のヨーロッパの建築家の世界でも)では、1910年と1911年のフランク・ロイド・ライトのあのヴァスムートの作品集出版によって、重要な発明という点でアメリカに注目するという考えを準備してきていたのだった。グロピウスは実際、ライトの影響を明確に見せた初めてのドイツの建築家であった。1914年ケルンでの展覧会でヴェルクブントのパヴィリオンのタワーのデザインにおいて明らかであり、これの設計はグロピウスの1911年、ハーゲンのフォルクヴァンク美術館での講演、『記念的芸術と工業建築(Monumentale Kunst und Industriebau)』、より前から始まっていたのである」(202-203)

 

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