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2014年6月

2014年6月27日 (金)

Archives vol15,Flooring, サンワカンパニー、2014

Sanwa


サンワカンパニー様のArhivesに手前どものHASUNe Renovationが収録されました。サンワカンパニー様、有難うございました。写真家の多田ユウコさんのクレジットも発見。

HASUNe Renovationについてはこちら。

http://architizer.com/projects/hasune-renovation/

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2014年6月17日 (火)

わざわ座事務局 わざわ座 0号 2014年春夏

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相羽建設株式会社さんが発行を始めた地域メディアの創刊号。地域メディアといっても結構クオリティは高いです。

冒頭の主旨説明では「職人が手仕事でつくる道具を、デザイナーが計画して、工務店が四方良しの価格で顔の見える関係を結んだ住み手に手渡す」「「たくさんつくりたくさん売る」があたり前になり、手仕事の国だった日本から手仕事が失われました。職人は誇りとやる気を失い、高齢化もあって職人自体が失われつつあります。生活道具も「たくさん売る」が目的となり、デザイン・素材・生産・流通ともに誠実さが失われ、本来の魅力がなくなり、使い捨てにされています。

「良いものをつくりたい」が職人本来の心意気。手仕事にはそんな想いと責任が宿ります。それは使う人にも伝わって、共感と愛着が宿ります。だから想い入れをもって永く大事に使われる。」

「現代の民藝運動」・・。(01-05)

特集は「大工の手」で、家具デザイナーの小泉誠さんデザインによる大工の腕の見せどころを取り入れた、古材を素材とした家具が並んでいきます。古材を素材とした・・で思い出したのですが、日本の数寄の美学とイギリスのピクチャレスクの美学には共通するところもあるのですね。これはK.シドニー・ロビンソンが『ピクチャレスク考察』のなかでも述べていることなのですが。

2020年に長期優良住宅が義務化されると、住宅業界は再編されるのでは・・という懸念があります。さらなる産業化の圧力の下、ハウスメーカーの下請けとして労働を切り売りしていくことになるのか、いわば現代の民藝運動的に、職人の手わざやデザインのクオリティを維持し発展させていけるのか、繰り返される、結構大きな問題です

 

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2014年6月16日 (月)

川向正人+小布施まちづくり研究所、『まちに大学が、まちを大学に』、彰国社、2014

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川向正人先生よりご恵投あずかりました。有難うございます。

人口約11千人程度でありながら年間観光客数約110万人を数える小布施町のまちづくりの一旦を担う、研究所の活動記録です。設立後、毎年テーマを決めてシンポジウムやワークショップ、実際のまちの修景などを行ってきている活動がまとめられています。資料価値のある一冊となっています。

 

さて、本書とは直接には関係ないことかもしれませんが、日本語の「まちづくり」という言葉は1970年代以降、都市計画という言葉が上から目線的でよくないということで一般化していったと言われています。言葉としては、名古屋市での再開発で1960年代初頭に登場したとも言われます。

近代都市計画とは渡辺俊一によれば、工業化に伴う都市問題を公共の手によって、総体的にコントロールする社会技術、「市街地の総体的コントロール」のことだとされます(cf.  http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/1993-a431.html)

ここであえてこれを具体的に大雑把に述べると、都市計画には区画整理と道路インフラという大きな柱があり、日本ではそれぞれに石川栄耀、山田正男という有名な人物がいます。山田は1964年東京オリンピック時の首都高を計画した人物で、自動車社会の到来を1930年代に既に予測していたという点ではドイツのアウトバーンや米国のインターステイトの構想などとほぼ並行していたようにも思います。しかしこうした道路インフラ整備や区画整理事業といった土木事業はこの約四半世紀、往々に無駄であると批判され、さらにいえば財政的にも難しくなってきたという側面があります。「まちづくり」という言葉の持つ「さぁ皆さん、ご一緒に」という感覚は、財政的にも公共だけでなく民間もご一緒に、という含みもあるのかもしれません。

それはさておき、日本は目下「観光立国」を目指しています。観光庁のビジットジャパン事業などはその一環でしょう。観光資源をどう造り、維持していくのか。まちづくりは今後、地域住民のためのものであるとともに、観光戦略をも含めた視点からも議論されていくのかもしれません。

これも余談。英語のtravel(旅行)は古フランスのtravail(労働、)に由来し、中世英語のtravelenは労働、苦痛、そして旅行を意味し、さらに遡行すれば古フランス語も中世英語も古代ローマの拷問器具tripaliumに遡行できるとか。英語のtourtortureも同根なのかもしれません。旅行や異なる世界に入っていくことはかつて苦痛だったのか。

 

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2014年6月 9日 (月)

アンソニー・バーク、テレーズ・ティアニー編、『ネットワークプラクティス、建築とデザインの新たな戦略』、山口隆訳、鹿島出版会、2014

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  アンソニー・バーク+テレーズ・ティファニーによるイントロダクション、マーク・ウィグリーによるアーキテクチュラル・ブレイン、ダグマル・リヒターによるThe Dom-in(f)o House の章を読ませていただく。

 本書は2014年にUCバークレーで3日間にわたって行われたシンポジウムが元になっているという。シンポジウムでの発表者のうちここに収録されていないのは、マイケル・スピークス、ピーター・テスタ、デヴィン・ワイザー、ジョージ・レグラディ、ラインホルド・マーティンらで、このうちマイケル・スピークスはフレドリック・ジェイムソン門下のマルキストの文芸評論家、ピーター・テスタらはGSAPPで教鞭をとっていたように思う。

イントロダクションにおいて、この研究がマニュエル・カステルから始まったことが述べられている。「社会学者マニュエル・カステルの「ネットワーク社会の興隆」によって影響を受けた問いから、われわれはこの研究を始めた。われわれは、いかにデザイナーを、ネットワーク社会内部に置くことができるだろうか。カステルを引用するならば、「実際、ネットワーク社会自体は、人々が情報社会もしくは脱工業社会と数年間呼んできたものに特有の社会構造である」。この社会的に基礎付けられた情報社会内で、エージェントとしてのデザイナーの地位と責任とか何か?ネットワーク社会の状態を確立するために多くの仕事がなされてきたが、学問領域を横断する創造的思索家の活動的枠みとして位置づけられる仕事は少ない」(23)

マニュエル・カステルは1960年代末にはアンリ・ルフェーブルらとともにパリ大学ナンテール校のマルキストの都市学者としてもともと活動していた(現在はカリフォルニア在住)。今日のコンピュテーションの問題構制がルフェーヴルの「都市期」やカステルの「インフォメーショ・シティ」の問題構制の延長上にあることを本書のこのイントロダクションはあらためて窺わせ、さらには1971年のMoMAにおける「ポストテクノロジー」展の延長上にさえあることを窺わせる(cf. http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/1975-6336.html )

訳者あとがきにもあるようにネットワークという概念は1970年代以降、哲学や都市社会学において注目されてきたように思う。ドゥルーズ+ガタリによる「平滑空間と条理空間」概念や「リゾーム」概念は典型的なもので、さらに人体の神経系のうちとりわけ脳の構造がネットワーク型であることもあって、コンピュータ社会のネットワーク性が言われてきたように思われる。

付言するなら、コンピュータが軍事技術として米軍支援のもと発達し、携帯型の通信装置が軍事技術としてこれもまた米軍支援のもとに発達してきたこともあるように、当時の戦争の様態の変化もあったかもしれない。ヴェトナム戦争では条理空間的な戦線はなく、インドシナ半島における点を結ぶネットワークとしてしか戦線は存在せず、戦車やトラックに代わってヘリコプターが掃討や輸送に用いられ、さらに各部隊には大型の通信装置を担いだ通信兵がネットワークの結節点として随行した。南ヴェトナム解放民族戦線側は米軍に遭遇するとまずこの通信兵を狙い撃ちにしたという。通信兵が斃れてネットワークから孤立すると、その部隊は孤立して包囲殲滅できることを理解していたからである。

そしてネットワーク状の戦場を結んだこの通信装置はその後小型化されて携帯電話となり、こんにちではスマートフォンやタブレットの類となってきている。

アルゴリズムもまたコンピュータ言語とともに発達した。1950年代のノーム・チョムスキーの変形生成文法も今日から見ればアルゴリズム的である。そのチョムスキーの当初の研究を支援したのもまた、米軍(ペンタゴン)であった。

コンピュテーションは最近になって突然出てきたものではなく、この長い前史の問題構制とともにあろう。ウィグリーの章はこれとはまた違った角度から、建築・都市のプロジェクトからネットワーク前史へのスケッチとなっている。

ダグマル・リヒターの章はまさにル・コルビュジエの建築家への三つの覚書におけるヴォリューム、表(面)、プラン概念の検討から始まっている。「ル・コルビュジエに対するもっとも重要な概念はle volumeであったが、「mass」として英語に翻訳された。一方、ドイツ語においてはBaukorperもしくは「建物のボティ」と翻訳された。ル・コルビュジエの理想に従って、この「ボディ」は、重要性と重々しさの中で、エンジニアによってデザインされ定義されるべきものだった。エンジニアは「普遍的な規則に従って」建物のこの「ボディ」を集めて組み立てることができる能力が備わっていたからである。建築の普遍的な原理に関して次に思い出させるものは、le surfaceであった。「surface」という間違った英語の解釈を通して、Aussenhautまたは「外部スキン」として、ドイツ語へと翻訳された。このサーフェイスまたはスキンは建物を包み、建物に命を与えた。しかしながら、ル・コルビュジエによれば、このサーフェイスは若い建築家に対して「危険」なものになるのである」、「ル・コルビュジエにより、われわれは、最初に構造的な矛盾を検出するであろう。この矛盾は、この言葉の特性を否定することによって直ちに生じ、ゼンパーの被覆の理論を支持する」、「装飾のあらゆる伝統性を攻撃しながら、建築の実体を、マッス、ボディ、建築物の重量に与えることを激しく試みたのと同様に。しかし、一方で敷地現場にもってくることのできる生コンクリートのための形や器のようなサーフェイスだけの建物を建設することを勧める。「コンクリートの原材料を局所的に使用することが、重量と輸送コストを節約させた」と彼は記している。このようにル・コルビュジエは、建築の主要な構成要素であるサーフェイスに関するゼンパーの見解を無意識に具体化していた」(140)

リヒターはここで、マスとヴォリュームについてのヒッチコック+ジョンソンやルイス・マンフォード、それに向井正也らの精密化の議論については特に触れていない。ヒッチコック、ジョンソン、マンフォード、向井らを敷衍するなら、ル・コルビュジエのヴォリューム概念自体がマスと未分化であり(繰り返すと、『建築をめざして』の有名なくだりは英語ではmassと訳さざるを得ない)、さらにsurface概念もskin(やさらにはmembrane)と未分化だったように思われる。

『建築をめざして』において瓶の比喩を用いたのはやはりピュリスムの考えからだったろう。また佐々木宏が指摘するように、ヴォリュームという概念を用いたのもピュリスムの考えだったのであろう。ドミノ・・もこれらの点からピュリスム的と考えることもできる。

ところでフェルナン・レジェがル・コルビュジエと出会うのはまさにこの時期、ピュリスムと『レスプリ・ヌーヴォー』の時期、1920年で、ピュリスト的な映画『バレエ・メカニック』を制作したにもこの時期(1924年)だった。

 

 

 

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