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2014年9月 1日 (月)

フロレンス・ナイチンゲール『看護覚え書、看護であること看護でないこと』湯槇ます、薄井坦子、小玉香津子、田村眞、小南吉彦訳、現代社、1968

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ある方のご推薦の書。

1860年初版。この時代の英国の病院は「一般に、病院とはいわば貧民患者の収容所で、患者の管理など行き届いていない場所だと考えられていた。また当時は、病人は自宅で療養し、医師の訪問診療を受けるのが普通であった」(71頁の注)という施設であったという。ただしそれでも実際には家庭よりはよく管理されていたと著者は述べている。さらに「多くの工場、倉庫、授産所、作業所の現状から、なんと数知れずほどの病気や死や悲惨が産み出されていることであろう。貧しい縫製工や印刷工、その他こういった職業の人びとが生活のために働く場所は、ほとんどのばあい、衛生状態の最も悪い町のどの一角よりも劣悪な環境な衛生状態にある。もともと、これらの仕事場は、ほとんどそのような目的で造られてはいない。それらはふつう、安普請の家の屋根裏部屋や居間や寝室などを、いいかげんに改造したものであり、居住空間や換気の点については何の配慮もされていない。貧しい労働者たちは、およそこれ以上の過密状態は想像もできないほどぎゅうぎゅうに詰め込まれている。多くのばあい、労働者ひとりに100立方フィートもあれば充分以上であると、雇用者は判断するのであろう」(28-29)という状況であったという。さらに上下水道のインフラは未整備か充分に整備されておらず、汚水や雑排水が浸透した井戸水を上水として使用し、感染症の流行をみたという。

病院は、陸軍の野戦病院ともなれば生還率は5割程度で、そこは「砲弾の餌」(ルイス・マンフォード)が最後の息を引き取るようなむしろ場所であった。この生還率5割を9割以上に著者が押し上げたのはほかでもなく、衛生環境の改善だったという。本書によれば看護でまずなすべきは一に換気、二に換気、三に採光、それから汚物の整理・・であり、食事等は優先順位からすればこれらよりずっと下の位置付けとなっている。「換気とは、要するに「部屋の」空気を清浄に保つこと、それだけを意味するのである」(27)

さらに「その後私は、天然痘が、狭苦しい部屋や、すし詰めの病棟などにおいて、まさに最初のものとして発生するのをこの眼で見、この鼻で確かめてきたのであるが、それはどう考えても「感染した」はずはなく、そこで発生したに違いないのであった。

いやそれどころか、いろいろな病気が発生し、熟成し、そしてそれが互いにほかの病気に変化していく様子も、私はこの眼で見てきたのである。ところで、犬は猫に変化したりはしない」(62)

密閉した空間のなかに大量の病人や人間を入れると病気は発生する、と1860年の時点で述べられている。ロベルト・コッホによって細菌が発見され、こうした病気の原因が突き止められるのはこの少しあと、1870-1880年代である。1876年には炭疽菌が、1882年に結核菌が、そしてその翌年にはコレラ菌がコッホによって発見され、感染症の原因が細菌であることがほぼ確定していく。さらに19世紀末には細菌よりもさらに小さいウィルスが発見されていく。

室内環境という点からみれば、細菌は高温多湿で繁殖し、インフルエンザウィルスは低温低湿を好むとされる。よって人間にとって快適な空気とは体感も含めて、温度20-28度、湿度50-60%程度、となる。人間にとって快適な環境は温・湿度からみても意外と狭い領域でしかなく、実際、人類史上で文明と呼ばれるものが発生したのはほぼ温帯においてであった。

さてナイチンゲールが述べているように感染症はどこか遠いところからやってくるのではなく、密閉した空間に病人や人間を過密に詰め込むと最初のものとしてそこで発生し、別のものに変化さえするのだとすると、感染症の多くはむしろ都市化の結果頻発するようになったのではないかと考えられる。ルイス・マンフォードは『褐色の三十年』において19世紀半ばに都市化が加速的に進み出すとスラム化という現象が出てきた、そして当時それは問題とされなかったと述べていたが、19世紀におけるこのcongestedな状況が近代都市計画のまさに引き金になったはずである。

本書が出版された1860年、感染症の原因はまだ突き止められておらず、病院も施設として確立していたか疑わしかったが、「病院建築の大家の建築家」とやらがいたという。とともに生命保険会社も活動していたことが本書には登場する。資本の集中を促す保険会社は大都市化の大きな動因であるとマンフォードは分析していた。

また繰り返すなら、ナイチンゲールは一に換気、二に換気、と述べているが、ジークフリート・ギーディオンは近代建築とは「Air」の建築であると述べていた。

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