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2014年10月

2014年10月23日 (木)

マルクス『経済学批判』、武田隆夫、遠藤湘吉、大内力、加藤俊彦訳、岩波文庫、1956

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 初期の『経済学・哲学草稿』から晩年の『資本論』へといたる過程で1859年に出版されている。本論である1章と2章はそれぞれ商品と貨幣の分析で、これは実際、資本論の第一巻と第二巻へと続く。商品分析とはW-G-Wにおける交換価値と使用価値の価値変態の分析であり、貨幣分析とは、この価値変態において唯一、交換価値が使用価値であるとともにそれ自身ではなく価値表象によって流通に介入してくる一般的交換形態、とともにその交換回数=流通速度によってもその価値総量を変化させるもの(よってcurrency=通貨ともなる)、貨幣というもの、鋳貨、紙幣、そして世界貨幣としての貴金属についての分析である。

 『経済学批判』という書名はカントの三批判を思い出させる。批判(criticism)はもともと判断作業であり、境界画定作業である。critical point(臨界点)とはある物質においてある様相が異なる様相に移行する点であり、crisis(転換期/危機)とは、ある物事の状況が極点において変化する時点のことであり、カント用語のGrenzeというのももともと「境界」とか「限界」という意味であった。著者は本書を著した動機として「ブルジョア社会の解剖は、これを経済学にもとめなければならない」(13)としているが、社会の「解剖」はこの解剖作業を可能にしている経済学とはなにかという問いでも他方ではあるのであり、経済学批判とはつまり、社会の解剖作業をなすとともに、同時に経済学の領域を画定する作業とも言えるはずなのである。

短い序言ではマルクスが多用する「ブルジョア」とか「ブルジョア社会」という言葉がヘーゲルからきている事が明記されている。これは「18世紀のイギリス人やフランス人の先例にならって「ブルジョア社会」という名のもとに総括している」(13)というcf. チャールズ・テイラー、『ヘーゲルと市民社会』)。

とともにのちに「史的唯物論」と呼ばれることになる考えが記され、それがヘーゲル批判からきていることも記されている。ここではヘーゲルの法哲学の批判的検討とされているが、世界史という概念自体ヘーゲルに始まるものであり、そのヘーゲルの世界史にける動因とは「精神」であった。著者はこの点でヘーゲルへの正面攻撃から始める。「国家諸形態は、それ自身で理解されるものでもなければ、またいわゆる人間精神の一般的発展から理解されるものでもなく、むしろ物質的な生活諸関係」、「そういう諸関係にねざしている」(12-13)ものとして理解される。つまり世界史における動因はヘーゲルのいう「(人間)精神」ではなく、「物質的諸関係」にこそ求められるべきという考えである。

続いてマルクスの方法論が述べられる。

「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有関係と矛盾すつようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期が始まるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とをつねに区別しなければならない。ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているかということにはたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。一つの社会構成は、すべての生産諸力がそのなかではもう発展の余地がないほどに発展しないうちには崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ち向かうのはいつも自然が解決できる課題だけである、というのは、もしさらにくわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか。またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから。大ざっぱにいって、経済的社会構成が進歩していく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげることができる」(13-14)

世界史を「経済的社会構成が進歩していく段階として」アジア的から始めて近代ブルジョア的へといたるとするのは、まさにヘーゲルの世界史をなぞりつつその動因を「精神」から「経済的社会構成」の「進歩」へと言い換えるものである。「精神」から「物質」主義への移行はもちろんゼンパーの物質主義と並行的である。ゼンパーの物質主義(唯物論とも言う)は19世紀末に再びウィーン学派によって転倒され、「精神史」の台頭をみたのはよく知られている。

いずれにせよゼンパーもマルクスもともに1848年後に政治的亡命者としてイギリスに渡り、そこでともに同時期、大英博物館の同じ部屋の机でいわば研究活動を行っている。あらためてゼンパーとマルクスの並行性が窺われる。さらにマルクスが社会を「生産様式」として分析するそのまさに「様式」という概念こそゼンパーが探求していた概念であった。様式論と資本論は同じ時代、同じ背景から出てきたと言える。言い換えるなら、「資本」と「様式」はこの時代あるいはこの時代以降の根本的な概念として、ほぼ同時期に登場してきたと言えるのではないか。

また本書ではマルクスがこの時代、生活費を得るためにアメリカの新聞『ザ・ニューヨーク・トリビューン』に寄稿していたことが書かれているが、この新聞は南北戦争の前後を通して強硬な奴隷廃止論を展開した新聞の一つだった。「共和主義者」という言葉はヨーロッパでは過激派、アメリカでは保守本流を意味するだろうか。さらにマルクスはときどきベンジャミン・フランクリンを引用するが、フランクリンにおおむね好意的である。

他方でゼンパーは一時期、大西洋を渡ってアメリカ行きを企てている。面白いのはサリヴァン自伝にも登場する不思議な建築家フレデリック・ボウマンである。1826年生まれでベルリン工科大学卒業後、1850年に大西洋を渡ってシカゴへとやって来ている。1803生まれのゼンパーの23歳年少、1818年生まれのマルクスの8歳年少であり、1848年前後のドイツ/ヨーロッパの空気を20代前半で吸って大西洋を渡ったことになる。サリヴァン自伝では90歳の老人として登場し90歳にもかかわらず剃刀のような頭脳の持ち主として、なおかつ「つらい人生を歩んできたのだろう、彼の眼には世の中のすべてのことはあほらしいことのように映っているようだった」という人物として登場する。ボウマンは米国におけるゼンパーの翻訳者であり解説者であり、また軟弱地盤におけるパイル状の杭基礎工法を開発してジェニーとヴィオレ==デュクとは異なる位置からシカゴ派の理論的かつ実践的な基礎を与えた人物であった。

この時代におけるもう一本の線が引けるのではないか。

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