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2014年11月12日 (水)

マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』廣松渉編訳、小林昌人補訳、岩波書店、2002年

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学生時代に花崎皋平訳で読んで以来の再読。初稿は1845-46年とあるので初期の草稿ということになるのだろう。むしろ実は初期から晩年までマルクスの主題は一貫していたといえるし、方法論や動機等も同じであったようにみえる。史的物質主義(史的唯物論)と呼ばれる方法論はまずヘーゲル批判から出てきている。『経済学批判』では『法哲学』が具体的に名前を挙げられて批判的に検討されていたが、ここで明確に『歴史哲学』が俎上にあげられている。とともに、マルクスの「世界史」への方法論はチャールズ・ロバート・ダーウィンが自然史において見たような動きを人間の社会史において見ているともいえ、化学反応や物理的な反応のように見ていると言えなくもない。たとえばダーウィンにおいてはある閾を超えると劇的な変化が種として訪れる(http://d.hatena.ne.jp/madhutter/20090203)、といったものなどである。歴史学へのこのあり方は、ニコラウス・ペヴスナーが18世紀の歴史学の「連想性」に対して19世紀の歴史学の特徴として挙げる考古学的実証性、それによって19世紀が歴主主義の時代であったとする傾向、さらにその根底にある物質主義のあり方のひとつでもあったろう(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/index.html)。

ただ、こうした物的反応から隔たっていつつ、しかしながらこの物的反応にかなり根底的に関係していた領域がある。それは「北アメリカのような、すでに発展を遂げた歴史的段階において一歩を踏み出す(そして自然発生的な前提としてはそれを構成する諸個人しかもっていない)国々では、事情は逆であり、発展の歩みはかなり速い。このような国々は、自然発生的な前提としては、そこに移住してくる諸個人、しかも旧い国々の交通形態が彼らの欲求に照応しなくなっていたために移住してくる諸個人、これ以外にはもっていない。それゆえこれらの国々は、旧い国々の最も進歩した諸個人とともに、したがってまたこういう諸個人に照応する最も発展した交通形態とともに(、いち早く)、旧い国々ではまだこの交通形態を実現できずにいるうちに、出発する。これはどの植民地についても、それが単なる軍事基地や商業基地でない限り、言えることである。カルタゴ、ギリシャの植民地、11,12世紀のアイスランド等がその実例である」、つまり植民地であったり、北アメリカのような領域である(188-189頁)。

さて本書の本論は全体で3部からなり、1部と2部はヘーゲルの批判的検討、3部は著者の述べる史的物質論による歴史叙述序論である。

のちのグラムシのヘゲモニー論や20世紀の批評理論として機能したイデオロギー批評を思わせる部分は、しかしながらまさにヘーゲル的な3項性をもって述べられている。つまり、第一に、当の支配者からイデオロギーが引きはがされたうえで、「歴史における思想の支配、あるいは幻想の支配というものが承認されなければならない」、次に、「この思想の支配の内に秩序が持ち込まれ」「諸思想の連鎖が「概念の自己規定」として捉えられることによって(行われうる)成し遂げられる」「そしてそれらが単なる思想として捉えられて、自己区別、つまり思想によってなされる区別になる」、あたかも自律した思想史のように編成されたこの思想はそして、「この「自己自身を規定する概念の神秘的な外観を取り払うために、それは一人の人物、「自己意識」、に、あるいはうまく唯物論的に見えるように一群の人物に、つまり歴史において「概念」の代役を担う「思考者」「哲学者」、イデオローグといった人物たちに変換される。すると今度はこれらの人物が、歴史の製造者、「監視委員会」、支配者として捉えられる。こうなれば、歴史から唯物論的な要素がすべて取り払われてしまい、今や安んじて思弁の馬を走るにまかせることができる」(120頁)。

ヘーゲルが「個人」あるいは固有名を持ち出したのはそれがアジア的集団性に対するヨーロッパ的個人性、英雄崇拝という歴史認識のゆえであり、さえらには芸術史という文脈でみれば、まさにアヴァンギャルドの歴史とは、つまり近代芸術においてその最良の部分とされてきたものの歴史とは、その固有名を抜きに語れないという前提があってきたからである。とともに、美術史学、あるいはドイツ美術史黄金期のヴェルフリンの美術史学も、単に形式主義というだけでなく、その生成衰退モデルは明らかにヴィンケルマンとヘーゲルの歴史学の方法論を継ぐものである。

さて本論3において試論として展開される史的物質論は、固有名を外されて記述される。社会の生産諸力の歴史的基準としておそらく国民経済学を根拠としつつ、「一国民の生産諸力がどの程度まで発展しているかを最も瞭然として示すのは、分業の発展である」(129頁)と述べられる。都市と農村の分業に始まり、農業、工業、商業、さらにそれら産業(サン・シモン)内部における分業化において、生産諸力の発展の度合いが見られるといっていい。

ルイス・マンフォードの『都市の文化』も、その先行者であるパトリック・ゲデスの『進化する都市』も、広い意味では史的物質論的な歴史記述といえる、というより、ゲデスは、先にニコラウス・ペヴスナーが述べた19世紀の歴主義的傾向、それもマルクスと同じヴィクトリア朝時代のなかから出自しているとさえ述べ得る。

さらに、生産諸力の発展の度合いを分業に求めることは、あるいは生産様式の変化のあり方を分業の度合いに求めるとは、これも広い意味で都市化の度合いにその発展の度合いを求めることであると言い直し得る。T.J.クラークの19世紀フランス絵画についての記述におけるヒドゥン・アジェンダとは、都市化の速度と、アカデミズム、サロンその他の絵画のあり方の速度との齟齬であった、とこれも言い換えることが可能だろう(http://d.hatena.ne.jp/madhutter/20080926)。クラークはそこにおいてギュスターヴ・クールベというどちらかと言えばこれまでフランス絵画史においていささか傍系として扱われてきた芸術家を、一つの軸として置いた。少なくともこれは古典的あるいは教条的な史的物質論の手つきとはまた異なるものである。とともに素朴な史的物質主義がやりがちな記述、つまり、ジョルジュ・スーラの『グラン・ジャッド島の日曜日の午後』で人々が互いに視線を合わさずに散漫と立っているのは、都市における疎外を表している等といった記述や視点などとも異なるものである。

こうした記述は機械的なマッピングになりがちであるし、また他方では建築家なしの建築史とか建築史家なしの建築史という素朴物質主義的な方法論や視点も避けねばならない。

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