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2015年5月

2015年5月 3日 (日)

Theory and Noncommercia Work, 1867-80

Theorynon

 ジェニー評伝の続き。理論的背景と初期の住宅、教会、ミシガン大学での仕事について。

 ジェニーの理論的背景は留学先であるフランスの建築理論および当時の米国建築家協会でバイブルのような扱いであったらしいジョン・ラスキン、それに英国の建築論、である。また、これらとともに19世紀半ばに隆盛を見せていた装飾論は留意しておいた方がよい。

フランス系のヴィオレ=ル=デュクのゴシック観はラスキンと対照的とされる。つまり「彼はそれを合理的観点の完璧な表現として好んだのであって、多くのフランスの知識人らしく(ラスキンと対照的に)反・僧侶であった。大聖堂が深い宗教性を表現していることは彼にとってほとんど偶然のことだったのであり、むしろ聖堂を都市構造物として、それも僧侶や貴族に対する自由市民の闘争や勝利として、彼は見ていた」(117頁)。

英国におけるヴィオレの相応者はエドワード・レーシー・ガーベットであり、ガーベットの『初心者と学生のための建築基礎』(1850)を米国に紹介したのはエマーソンであり、ジェニーは少年時代にこれを読んでいたかもしれない、という。以下、ガーベットの建築論についての解説が続く(118-120頁)。もう一人の英国系理論家で影響を与えたかもしれない人物はジェームズ・ファーガソンで、よい建築は全て構造から出発しなければならないと考え、これはまたこの世紀の技術への熱狂を表現するものであったという(121頁)。

「ここからジェニーは建築の構成を素の構法と装飾された構法の二つに分ける。前者はデザイン、配置、一般形態、案、開口部と非・開口部の配列の解剖学に関わる。」(121頁)。

続いて装飾された構造について、というより19世紀中葉には装飾論の古典的書が続々と出版されているが、この時代にこれほど「装飾」に関心が集まったということは、装飾を独立したもの、それ自身の何かとして考察したとも言え、言いかえるなら装飾を考察することは装飾以外のもの、つまり「素の構法」への関心が同時にあったことを窺わせる。「オーウェン・ジョーンズの『装飾の文法』(ロンドン、1856)、ヴィクトール・ルプリチ=ロベールの『花の装飾』(パリ、1866)、ジェームズ・コーリングの『植物装飾』(ロンドン、1865)、フリードリヒ・フルメの『装飾芸術の原理』(ロンドン、1865)」、など。「装飾はそれ自身のために使われるものでは決してなく、構造を偽装してもならない。ジョーンズは単に大雑把な道筋を示しただけである。他の理論家たちは建築装飾の特定の規則をより深めようと試みた」「ルプリチ=ロベールは19世紀に相応しい新しい装飾を探求した」「多くの点で彼(ルプリチ=ロベール)はサリヴァンの動的装飾デザインを先取している」(122-123頁)。19世紀中葉の装飾論の隆盛はその対極で何が起こっていたかを暗示していた点で、興味深い。ここはもう一回洗い直す(?)。

後半は初期の教会建築と住宅建築について、およびミシガン大学での講義など。米国の大学での建築教育はMIT(1867)、コーネル(1870)、イリノイ大学(1871)と開講され、1875年、ミシガン州は工学部に建築学科を開設することを決定する、つまりミシガン大学の建築過程は全米で4番目に始まっている。

サントラールに留学し、工学部建築学科の初代教授としてのジェニーの教育方針はもちろん、ボザールの教育とは異なり、1、素材の扱い、2、建築家の社会的役割、に重点をおくものだったという。彼自身の実際の講義は水曜日の建築史、木曜日の建築構法、の授業の二つで、この二つを講ずるために事務所のあるシカゴから大学のあるミシガン州アノーバーへ、週二晩夜行列車に乗って通った、とある(148-149頁)。

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